公開日:2023年6月26日

画家の野見山暁治さんが102歳で死去。人間や自然の本質を見つめ、「無言館」の設立にも尽力

100歳を超えて制作を続け、文化勲章を受章。2020年には野見山さん原画のステンドグラス作品が地下鉄青山一丁目駅に設置された

野見山暁治さん。2021年に福岡県糸島のアトリエにて 撮影:永田晶子

戦後の日本洋画の第一線で活躍し、100歳を超えて制作を続けた画家で文化勲章受章者の野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)さんが6月22日、心不全のため亡くなった。享年102。

1920年、福岡県飯塚市の炭鉱を経営する家に生まれた。1938年東京美術学校油画科に入学し、在学中の42年に春陽会展で作品が初入選。翌年卒業、応召し、発病のため入院した福岡の傷痍軍人療養所で終戦を迎えた。1953年渡仏し、パリを拠点に12年間ヨーロッパに滞在。サロン・ドートンヌ会員になるなど作品はパリで評価され、日本でも若手画家の登竜門である安井賞を1958年に受賞した。1964年に帰国後は、東京・練馬と福岡・糸島にアトリエを構えて制作を行い、東京藝術大学で准教授、教授を歴任して後進の指導にも当たった。

野見山暁治 言いたいことばかり 2006 福岡県立美術館蔵 出典:福岡県立美術館ウェブサイト(https://fukuoka-kenbi.jp/exhibition/2022/0308_14713/)

初期は故郷のボタ山や人物をモチーフにキュビスムの影響が濃い絵画を手掛けたが、徐々に抽象化が加速。身近な風景や事物を起点として自身の眼が捉えたイメージを大胆に再構成し、形と色彩が溶け合うような独自の画風を確立した。主な個展に「野見山暁治展」(北九州市立美術館など、1983)、「野見山暁治――その、動く気配の一瞬の形を」(練馬区立美術館、1996)、「野見山暁治展」(東京国立近代美術館など、2003~2004)。1996年毎日芸術賞、2000年文化功労者。2014年に文化勲章を受け、洋画の第一人者の地位を不動のものにした。

野見山暁治さん。2021年福岡県糸島のアトリエにて 撮影:永田晶子

自分同様に出征して亡くなった戦没画学生の遺作収集に奔走し、作品を展示する「無言館」(長野県上田市、1997年開館)の設立に尽力。戦争で志を断たれた若者たちの作品を広く世に紹介し、平和の尊さを伝えた。エッセーの名手としても知られ、主な著書にパリで交流した藤田嗣治らの思い出を綴った『四百字のデッサン』(日本エッセイスト・クラブ賞)、『パリ・キュリイ病院』、『アトリエ日記』などがある。

最晩年も創作意欲は衰えず、筆致に奔放さが増した新作絵画を画廊や美術館で披露した。版画やパブリックアートも手がけ、2020年に野見山さん原画のステンドグラス作品が地下鉄青山一丁目駅に設置された。年齢を感じさせない制作活動はテレビや雑誌に取り上げられ、日本美術界の最長老として多くの人に親しまれた。

葬儀は近親者で営まれた。後日、東京と福岡でお別れの会が開かれる。

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