公開日:2021年12月30日

コロナ禍を乗り越えた、オリパラ文化プログラムの成果と展望(文:吉本光宏)【シリーズ】オリパラは日本の文化芸術に何を残したのか?(3)

ライゾマティクスや 目 [mé]らが参加した、オリンピック・パラリンピック文化プログラムとはなんだったのか。

Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13のプログラム「パビリオン・トウキョウ 2021」より、会田誠《東京城》(2021) © AIDA Makoto 撮影:ToLoLo studio

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会は、現在の日本の社会・政治をめぐる問題をたびたび表面化させ、至るところで「アスリートファーストではない」という批判を巻き起こした。
では、オリパラにとってスポーツとともに重要な柱である「文化」と、それに関わるプレーヤーについてはどうだったのだろうか。オリンピック憲章の根本原則には、「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」と記されている。

シリーズ「オリパラは日本の文化芸術に何を残したのか?」では、各分野の専門家に東京大会の文化・芸術に関する側面について検証してもらい、その達成や評価、論点を、今後も大型イベントが予定されている未来に向けて残したい。

第3回は、ニッセイ基礎研究所の吉本光宏が、オリンピック・パラリンピックの文化プログラムの歴史や、東京2020大会の成果を論じる。[Tokyo Art Beat]

 ▶︎第1回:2020年オリパラ東京大会のデザインを振り返る(文:加島卓)
 ▶︎第2回:踊り/ダンスとオリンピック・パラリンピック(文:武藤大祐)


オリンピック文化プログラムとは

9月5日に閉会した東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)。熱戦の繰り広げられたスポーツ競技と並行して数々の文化イベントやアートプロジェクトが展開されたことをご存じだろうか。オリンピックの文化プログラムである。

一般にはあまり知られていないが、文化プログラムもオリンピック憲章に規定された公式事業で、いまから100年以上前、日本が初めて選手団を派遣した1912年のストックホルム大会から実施されてきた。当時は、スポーツ同様、優秀作品にメダルが授与される「芸術競技」の形式で開催されていたが、その後、「芸術展示」や「文化オリンピアード」という形式に変わり、文化プログラムは次第に拡充されてきた。

ちなみに1964年の東京大会でも「日本最高の芸術品を紹介する」という基本方針のもと、美術と芸能の2部門10分野で様々な展覧会や公演が行われた。東京国立博物館で開催された「日本古美術展」には、鳥獣戯画や源氏物語絵巻など、国宝154点を含む絵画、彫刻、工芸、建築、書道の877点が展示され、40万人が来場した。

文化プログラムの歴史を変えたと言われるのが、2012年のロンドン大会だ。北京大会終了後から4年間にわたって実施された文化オリンピアードでは、インスパイア・プログラムという公募型、参加型の枠組みを新設。2012年には12週間にわたって、ロンドン2012フェスティバルが開催され、「一生に一度きり(Once in a lifetime)」というスローガンのもと、ロンドンばかりか英国全土で野心的なアートプロジェクトが繰り広げられた。

2016年のリオ大会でも、ロンドン大会の成功を参考に文化プログラムが計画された。しかし、大統領の弾劾裁判、経済の急速な悪化など、政治・経済危機のさなかに開催されたリオ大会の文化プログラムは低調に終わった。

そうした流れを受けて、東京2020大会ではどんな文化プログラムが実現するか、関係者の関心が高まっていた。

東京2020大会の文化プログラム

東京2020大会の文化プログラムは、ロンドン大会の成果を参照し、早くから準備されていた。主な推進母体は、組織委員会、東京都、国(内閣官房、文化庁)の3者。組織間で連携は行われたものの、全体的な統一が図られることはなく、結果的にそれぞれのロゴが乱立し、図のとおり複雑な構成となった。

東京2020大会文化プログラムの全体像 出典:筆者作成(ロゴは各主催団体のHPから引用) 注:実際には複数の枠組みにまたがるかたちで実施された事業も少なくない

このうち公式な文化プログラムは、組織委員会が認証した「東京2020公認文化オリンピアード」と「東京2020応援文化オリンピアード」、そして同じく組織委員会が主催・共催した「東京2020 NIPPONフェスティバル」である。

すべての文化事業が公式の文化プログラムとして実施できなかった主な要因はスポンサーである。ご存じのとおり、オリンピック・パラリンピック競技大会はスポンサーの資金が大きな財源となっていることから、オリンピック、パラリンピックの名称及びブランドの使用について、厳密なルールが定められている。大会スポンサー以外の民間企業等が、オリンピックやパラリンピックの文言、エンブレム等を用いることはブランドの「ただ乗り」(アンブッシュマーケティング)と見なされ、禁止されている。

しかし、東京2020大会を契機に実施される文化イベントは、オリパラの公式スポンサー以外の民間企業等から支援を得るケースが極めて多い。国はその受け皿として「beyond2020プログラム」という枠組みを用意した。ほかにも文化庁は「日本博」として全国各地の文化事業を推進した。これは2018年にフランスで開催され、大きな成果を収めた「ジャポニスム2018」の延長線上に位置し、「日本人と自然」を総合テーマに縄文時代から現代まで続く「日本の美」を国内外へ発信しようというもので、数十億円規模の予算が投入された。

ロンドン大会ではルース・マッケンジーを芸術監督に迎え、組織委員会、国(アーツカウンシル)、ロンドン市が一体となってフェスティバルのキュレーションが行われ、芸術的な質の高さ、国際的に通用するプログラムが重視された。それとは対照的なかたちとなったが、東京2020大会ならではの幅広い枠組みで実施できたことは、むしろ成果と考えるべきだろう。

開催都市の東京都は、リーディング事業として2015年から「東京キャラバン」や「TURN」をスタート、この2つの事業は2016年にリオでも大会期間中に開催され、同年秋から「東京文化プログラム」がスタートした。2017年11月には「Tokyo Tokyo FESTIVAL(TTF)」と改称され、都立文化施設等が行う東京の文化振興の基盤となるプログラム、民間団体等に助成を行うTTF助成、そして新たに展開する象徴的なプログラムの3つの枠組みで推進された。

アートの可能性を模索した「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」

上記に示した文化プログラムの実施件数について、現時点で公式発表が行われていないが、4年間で数千から場合によっては1万件を超える数の事業が行われたことは間違いない。その内容は多種多様で、一概に論じることができないが、アートプロジェクトとして注目できるのは、東京都が「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」(以下、「スペシャル13」)として実施したものである。

これは、「企画公募」としてアーティストやクリエイターからオリンピックでもなければできないような斬新で独創的な企画、多くの人々が参加できる企画などを幅広く募り、1件につき2億円を超えない範囲で東京都が委託費を付与して実現しようというものだった。国内外から2436件(海外からは28ヶ国・地域から114件、ヨーロッパ74件、北・南アメリカ16件、アジア11件、オセアニア7件、アフリカ6件)の応募が寄せられ、英国、アルゼンチンからの提案を含む13件が採択、実施された。

たとえば現代アートチーム、目 [mé]の《まさゆめ》。世界中から顔を募集し、集まった1000以上の顔の中から、この世に「実在する一人の顔」を選んで、東京の空に浮かべるというものだ。その大きさはビル6~7階分という巨大さで、7月16日には代々木で、8月13日には隅田川沿いで浮上した。残念ながら天候上の制約から、浮上時間は限られていたが、目撃した人には強烈な印象を残すものとなった。

Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13より、目 [mé]《まさゆめ》(2019-2021) 撮影:津島岳央

文化プログラムの多くが、東京2020大会を文化から盛り上げるために実施されたのに対し、目 [mé]は、このプロジェクトがそうしたことを主眼にした企画ではなく、あくまでもアート作品だとしている。事前の広報はまったく行わず、偶然、空に浮かぶ巨大な顔に遭遇した人々が、どのように感じ、何を考えるのか――。

プレスリリースには「世界中が見る圧倒的な『他者』」「出現した『謎』の光景」「芸術とは『この世界をもう一度見る』こと」といったキーワードが並ぶが、決して答えがある訳ではない。目撃した一人ひとりに大きな問いかけを発する、そんな作品だった。

「スペシャル13」のうち、新型コロナの感染が拡大する前、2019年11月に約1500名の参加を得て実施されたのが、ライゾマティクスが企画した「Light and Sound Installation “Coded Field”」である。舞台は港区芝の増上寺と芝公園などの一帯。

一般公募から抽選で選ばれた参加者は、一人ひとりがこのプロジェクトのために開発されたバルーン型のデバイスを持ち、会場を自由に移動することができる。スティック状の持ち手にはスピーカーが、バルーンにはLED照明が内包されたこのデバイスにはGPSが内蔵され、参加者全員の位置情報を把握できる。

参加者の動きに呼応してデバイスが発する光と音が変化し、参加者の位置情報や動きに合わせた演出も行われた。増上寺の建築や地形のデータを解析し、光と音に変換するための情報を埋め込んだ仮想空間で展開されたプロジェクトは、先端技術と空間や人の動きが一体となったライゾマティクスならではのものだった。会場ではLEDスーツをまとったダンサーたちのパフォーマンスも披露され、東京タワーのふもとで、光と音が織りなす幻想的なプロジェクトが展開された。

Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13より、ライゾマティクスが企画した「Light and Sound Installation “Coded Field”」 写真提供:Rhizomatiks

ほかにも、世界的に活躍する8名の建築家やアーティストが、新国立競技場周辺などに独自のパビリオンを設置した「パビリオン・トウキョウ2021」、東京駅正面の丸ビル、新丸ビルの壁面をキャンバスに見立て、横尾忠則・美美親子がそれぞれ高さ約150m、幅約35mという巨大壁画を制作した「東京大壁画」も、街中で展開される大がかりなプロジェクトだった。

Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13より、ドリルが企画し、横尾忠則・横尾美美を起用した「東京大壁画」(部分)

さらに、4台の産業用の巨大なロボット・アームを使って、黒い砂利を敷き詰めた庭園の上に、アスリートの動きを解析し、そのデータを読み込んで様々な紋様を描き出すジェイソン・ブルージュ・スタジオ(英国)の「ザ・コンスタント・ガーデナーズ」、2019年秋から東京都区部・多摩地区・島しょの9ヶ所(うち3ヶ所は無観客映像配信)で輸送トラックの荷台を舞台にコンテンポラリーダンスや音楽などのパフォーマンスを展開した「DANCE TRUCK TOKYO」なども、「スペシャル13」ならではのものだった。

Tokyo Tokyo FESTIVALスペシャル13より、ジェイソン・ブルージュ・スタジオ「ザ・コンスタント・ガーデナーズ」 © Jimmy Cohrssen Courtesy of Jason Bruges Studio
Tokyo Tokyo FESTIVALスペシャル13より、全日本ダンストラック協会が企画した「DANCE TRUCK TOKYO」 Photo by Hiroshi Makino

コロナ禍という歴史的危機を乗り越えた文化プログラム

だが、それらは容易に実現したものではない。新型コロナウイルスの感染拡大によって1年延期、無観客開催という異例のかたちになった競技大会と同様、2020年春から本格的な展開を予定していた文化プログラムも、延期や中止など多大な影響を受けた。

2021年春になっても感染拡大は収まらず、1年延期された文化プログラムは、実施の目的や理念以上に、コロナ禍でいかに実現させるか、に力が注がれることになった。オンラインへの切り替え、感染対策を施しての実施など、アーティストや関係者は知恵を絞り、少しでも理想に近いかたちでの実現を模索し、検討を重ねた。

密を避けるため、屋外で開催されるものですら広報活動は制約され、せっかくの文化事業に観客を集めることが困難になった。それでも、コロナ禍で文化プログラムをやりきったということ自体は大きな成果、実績ととらえるべきだろう。

2020年春以降、芸術活動は停滞を余儀なくされた。アーティストや文化関係者は仕事を失い、公演や展覧会は著しく制約された。そうした状況下で、安易に中止にするのではなく、文化プログラムをあきらめなかったことは、アーティストや文化関係者にポジティブなメッセージとなったはずだ。

それに加え、本稿で紹介した「スペシャル13」は、それまで文化イベントが行われたことのない屋外空間で実施されたものが多く、安全性や鑑賞環境を考慮した会場探し、関係者への事前説明や了解の取り付け、各種規制を踏まえた対応など、新型コロナウイルスの感染対策とは別に、乗り越えなければならない数々のハードルがあったと聞く。

その経験を、レガシーとして将来にどのように引き継いでいくべきか。文化事業やアートマネジメントに携わる人たちには、オンラインを含めた新たな事業形態や鑑賞方法の模索を、国や地方公共団体には文化政策のさらなる進化、強化を、そしてアーティストには、新たな表現や作品、とりわけ新型コロナがもたらした社会の変容や価値観の転換に対するアーティストならではの問題提起を期待したい。

新型コロナウイルスの感染拡大が続くなかでオリパラを実施したことについては、未だに賛否が分かれるだろう。ましてや文化プログラムのすべての事業が評価に値するものだったとは限らない。それでも、2016年の夏から5年間にわたり、東京2020大会の文化プログラムという傘の下、従来にはない広がりや内容とともに膨大な数の文化イベントやアートプロジェクトが実施されたことは事実である。

コロナ禍という歴史的な危機。そのなかで文化プログラムをやり遂げたことで、日本の芸術、文化はより強靱なもの、多様なものへと変貌していくに違いない。

吉本光宏

吉本光宏

よしもと・みつひろ ニッセイ基礎研究所社会研究部研究理事。1958年徳島県生まれ。東京オペラシティ、国立新美術館、いわきアリオス等の文化施設開発、東京国際フォーラムのアートワーク計画などのコンサルタントとして活躍。調査研究の専門分野は、文化政策、芸術の社会的価値、五輪文化プログラム、文化施設開発、文化施設運営・評価、創造都市。主な著書に『文化からの復興-市民と震災といわきアリオスと(水曜社)』など。