公開日:2023年9月30日

古代ローマの名品が集結、初来日作品も。「永遠の都ローマ展」(東京都美術館)レポート

会期は12月10日まで。カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、古代ローマ帝国の歴史に迫る彫刻や版画から、近代の絵画コレクションまで約70点が公開。

会場風景より、《カピトリーノのヴィーナス》(2世紀)

東京都美術館「永遠の都ローマ展」が開催している。会期は12月10日まで。同館で終了後は福岡市美術館にて巡回予定(2024年1月5日〜3月10日)だ。

出展作品は、ローマ市庁舎とともにカンピドリオ広場に所在するカピトリーノ美術館のコレクションが中心。同館はルネサンス全盛期の1471年、時の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈・返還したことをきっかけに開館した。一般市民に公開された美術館としては世界でもっとも古い。

カンピドリオ広場のカピトリーノ美術館 © Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali

章立ては全部で5章。古代ローマ時代の彫刻や版画から近代の絵画まで、およそ70点を通じて古代ローマ帝国の歴史に迫る内容となっている。以下では、各章ごとの見どころをかいつまんで紹介していこう。

双子と牝狼のローマ建国神話

第1章「ローマ建国神話の創造」は《カピトリーノの牝狼》からスタート。生まれて間もなくして川に捨てられた双子ロムルスとレムスが、牝狼に乳を与えられている姿が表現されている。1471年、教皇シクストゥス4世の意向でカンピドリオ広場に移された彫刻のひとつでもあり、移転以降ローマの起源を示す特別なイコンとして、当時の貨幣や中世以降の絵画に多用された。

会場風景より、《カピトリーノの牝狼(複製)》(20世紀、原作は紀元前5世紀)
会場風景より、《豹と猪の群像》(1世紀)

ローマとこの牝狼たちとの関係は、「カザーリ家の祭壇」という通称で知られる祭壇に描かれている。ロムルスとレムスは、結婚と出産が禁じられている巫女レア・シルウィアと軍神マルスのあいだに生まれたために、巫女はふたりを籠に入れて川に流したところ、羊飼いファウストゥルスが双子を発見。羊飼いが籠を見つけた場所は、のちにふたりがローマを建国する中心地となったという。

会場風景より、《ティベリウス・クラウディウス・ファウェンティヌスの祭壇(複製)》(通称・カザーリ家の祭壇、1933-37、原作は祭壇:2世紀後半、碑文:3世紀以後)

プロパガンダとしての肖像彫刻

第2章「古代ローマ帝国の栄光」では、大理石や石膏の肖像彫刻がずらりと並ぶ。共和政時代のローマにおいて、肖像を作ることが許されていたのは貴族のみ。帝政期では、皇帝一族の彫像がプロパガンダとして広く流通していた。《アウグストゥスの肖像》もそのひとつ。アウグストゥスはユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)に養子として迎えられ、その遺志を継いで都市の整備を進めた皇帝。厳しい表情と写実性を備えた肖像は全国に配置され、帝国統一の象徴として機能した。

会場風景より、《アウグストゥスの肖像》(1世紀初頭)

出品作品のなかでも一際目を引く巨大な足は、コンスタンティヌスのものとされている。コンスタンティヌスは当時複数の皇帝によって分裂していた帝国を、再統一した人物。政治、経済、官僚組織の変革を始め、313年のミラノ勅令でキリスト教信仰を公認したことでも知られている。

本展ではこの左足の断片に加えて、頭部と球体を支え持つ左手も公開。これらは《カピトリーノの牝狼》と同様、15世紀に教皇からローマ市民へ贈られ、カピトリーノの丘に移された彫刻のひとつだ。ちなみに、このコンスタンティヌスの巨像は座っていると推定されており、玉座に構えるユピテル(ゼウス)に倣ったという説が有力のようだ。

会場風景より、手前は《コンスタンティヌス帝の巨像の左足(複製)》(2021、原作は312頃)、右奥は《コンスタンティヌス帝の巨像の頭部(複製)》(1930年代、原作は330-37)
会場風景より、《コンスタンティヌス帝の巨像の左手(複製)》(1996、原作は330-37)

《カピトリーノのヴィーナス》は初来日

フロアを上がると、本展の一番の目玉《カピトリーノのヴィーナス》が配された空間が広がる。《ミロのヴィーナス》や《メディチのヴィーナス》と並び、古代のヴィーナス像の傑作のひとつに数えられる本作は、今回が初来日(公開は東京会場のみ)。さらに、カピトリーノ美術館でこの彫刻が置かれる八角形の展示室「ヴィーナスの部屋」も、本展のために再現された。

会場風景より、《カピトリーノのヴィーナス》(2世紀)

ミケランジェロによる広場の設計

第3章「美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」ではルネッサンス前後に制作された作品が並ぶ。中性的な姿が印象的な《カミッルス》も、1471年にローマ市民へ贈られた彫刻のひとつ。カピトリーノ美術館でもっとも有名な彫刻として知られている。

会場風景より、《カミッルス(複製)》(1930年代、原作は1世紀)

1537年、教皇パウルス3世はローマの壮麗さを取り戻すために、ミケランジェロにカンピドリオ広場の整備計画を依頼。現在も残る楕円形広場のデザインは、彼が設計したものだ。

エティエン・デュペラ カンピドリオ広場の眺め 1569 エッチング ローマ美術館蔵 © Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico del Museo di Roma
会場風景より、左から《ローマ教会の擬人像》(13世紀初頭)、《教皇グレゴリウス9世の肖像モザイク》(1227-41)

カピトリーノ美術館の創設とその狙い

カピトリーノ美術館の創設は1734年。教皇クレメンス12世がアレッサンドロ・アルバーニ枢機卿の古代遺物のコレクション購入とすでにカピトリーノで保存・管理されていた作品群が起点となった。開館後同館は、ヨーロッパ各地における公共の美術館のロールモデルとなっていく。第4章「絵画館コレクション」では、同館が16〜18世紀に蒐集した絵画を鑑賞できる。

会場風景より、《ルクレツィア》(1640-42)

美術館の設立は、たんに古代ローマ文化の保存だけが狙いではない。グランド・ツアーの流行など国外からの旅行者が多かった当時のローマにおいて、古代の名品が国外へ流出することを防ぐ目的もあったようだ。

クレメンス12世の跡を継いだベネディクトゥス14世は、ふたつの名家からおよそ300点の絵画を購入し、コレクションを拡充。同氏は、版画図版を備えた全4巻からなる収蔵品目録の出版計画を支援し美術館にデッサン教室を設立するなど、教育的な面でも尽力した。

会場風景より、マッテイア・プレーティ《ディオゲネスとプラトン》(1649-50)

霊感源としての古代ローマ

展示を締めくくる第5章「芸術の都ローマへの憧れー空想と現実のあわい」では、古代美術とそれに影響を受けた国外作家の作品などが並ぶ。

ドメニコ・コルヴィ《ロムルスとレムスの発見(ピーテル・パウル・ルーベンスに基づく)》は、18世紀後半に計画された室内装飾プロジェクトにおける作品だ。作例に選ばれたのは、現在のドイツ出身の画家ピーテル・パウル・ルーベンスの絵画。古代ローマの文化を伝える美術として、国外の優れた芸術家たちの作品も正当に評価されていたことがうかがえる。

会場風景より、ドメニコ・コルヴィ《ロムルスとレムスの発見(ピーテル・パウル・ルーベンスに基づく)》(1764-66)
会場風景より、《デケバルスの自殺(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製)》(1861-62、原作は113)

現代まで脈々と受け継がれてきた古代ローマの文化。その伝承の過程において、作品の蒐集から保管、教育にいたるまでカピトリーノ美術館が果たした役割は計り知れない。古代ローマの名品を楽しむことはもちろん、「最初の公共美術館」の活動が編み出してきた歴史の一端にふれることができる展覧会だろう。

浅見悠吾

浅見悠吾

1999年、千葉県生まれ。2021〜23年、Tokyo Art Beat エディトリアルインターン。東京工業大学大学院社会・人間科学コース在籍(伊藤亜紗研究室)。フランス・パリ在住。