最終更新:2022年3月30日

「世界の森羅万象をすべて描き尽くしたい。網羅したい」。画家・指田菜穂子インタビュー

コンセプトは「百科事典を絵画作品化する」。画面を埋め尽くすおびただしい図像や記号が意味するものとは? 初の作品集も発表したばかりの画家、指田菜穂子にインタビューを行った。

指田菜穂子。西村画廊にて

「百科事典を絵画作品化する」をコンセプトに、言葉に関連するあらゆる事物をポップな曼陀羅図のごとく画面に精密に描き込む指田菜穂子。5年ぶりの個展「日本文学大全集 1901-1925」はターゲットを近代の歴史と日本文学に絞り、明治34年~大正14年の各年を表現した25点が一堂に並ぶ(日本橋の西村画廊で4月9日まで)。初の作品集『日本文学大全集 1901-1925』(アートダイバー、2022)も刊行された指田に、独自のコンセプトや制作手法などを聞いた。

歴史でも文学でもないものを描く

——指田さんは「百科事典を絵にする」という発想のもと、「糸」「酒」などの言葉や干支の動物から敷衍した「十二支」シリーズを発表してきました。今回のテーマは近代の歴史と日本文学です。どのようなプロセスで制作したのでしょうか?

「百科事典」の考え方自体は変わっていません。もともと単純な言葉を1つ設定して、それに関連した事柄を引っ張ってきて画面を作っていましたが、これまで百科事典の項目に見立てていた言葉が今回は20世紀のある「年」に置き換わりました。その年に実際に起きた出来事や事件、世に出た印刷物や商品、活動した人物などのモチーフとして大量に集め、芯となる部分にその年に発表された小説を1つ入れて、それが全体の構造を支えています。

小説のストーリーに直接関わる図像は少ないので、表面的には歴史的な部分しか見えないのですが、文学を抜いたら成立しない絵画です。私はその年の歴史が描きたいわけでも、文学作品にアプローチしたいわけでもありません。歴史と文学、その2つを絵画を媒介に組み合わせると、歴史でも文学でもない新しいものができるのではないかと考えたのです。

日本文学大全集 明治四十五年の女 “N港の女” 2019 キャンバスにアクリルグァッシュ 14 × 18 cm(摩文仁朝信『許嫁と空想の女』1912)

——制作にあたり、次のような綿密なルールを設定していますね。

<ある小説が発表(または執筆)された年と、その小説の登場人物の名を組み合わせてタイトルとする(例:「明治××年の男〇〇」、「大正××年の女〇〇」)。タイトルにした登場人物の台詞をひとつ、画中に書き込む>
<小説は、発表/執筆された年が舞台と考えて無理のないもの(中略)から選び>
<明らかに別の年の出来事を扱っているものは除く>

作品集『日本文学大全集 1901-1925』(アートダイバー、2022)より

歴史と文学を組み合わせるアイデアは10年以上前に浮かび、十二支シリーズなどを描きながら膨大な量の小説を読み、取り上げる作品を探しました。絵のタイトルの「年」は厳密に言えば、その年の世相に作家が影響されて執筆したのなら執筆年、文学が世相の一部を表すと考えるなら発表年がふさわしいのですが、それは無理のない範囲で決めました。2つめのルールとして、その年に起きた事象が書かれているリアルタイムで執筆された小説を選びました。

たとえば夏目漱石の『それから』(1909)は、実際にあった事件や新聞記事から引用した事柄が書き込まれ、それが再び新聞に連載小説として掲載されました。でも、そういう遊びがある作家は少なく、読んだ小説の大半は語り手が回想する性質を持ち、過去から出発してストーリーが進んでいき、最後に語り手の現時点と合流するので条件に合いません。その点でまず、可能性がある小説が思いきり絞られました。

画面に台詞を1つ描き込むルールも決めたのですが、これも漱石の『それから』が発端です。登場人物の三千代が言う「だつて毒ぢやないでせう」が中学生くらいのときに気に入り、いつかこの台詞を使った作品を作りたいと心の引き出しにしまっていました。そうなると魅力的な台詞も選定基準に加わり、各年違う作家にすることも決めました。そうすると、あくまで私にとってですが、豊作の年も不作の年もあって。

たとえば進歩的女性を指す「新しい女」という言葉が社会に広がった大正2(1913)年は、素木しづの『松葉杖をつく女』を取り上げました。小説の主人公同様、身体に障害がある素木が18歳頃に書いた、勢いがある文体が印象的な作品です。素木は新聞連載を持つなど大正期を代表する女性作家のひとりでしたが、20歳代初めで亡くなったためか、長く埋もれていました。この年はほかに好きな岩野泡鳴の良い作品もあったのですが、素木に押し出されてしまいました(笑)。いっぽうで、読んでも読んでも適切な小説がなかなか見つからない年もありました。

日本文学大全集 大正二年の女 水枝 2020 キャンバスにアクリルグァッシュ 33.3 × 19 cm 個人蔵(素木しづ『松葉杖をつく女』 1913)

「好き」から制作に入ることはほとんどない

——素木の小説から着想した絵画《大正二年の女 水枝》は実物大の髪の三つ編みを画面中央に置き、当時流行の髪型や化粧品、女性初の医師になった荻野吟子ら著名人の顔、雑誌『青踏』の表紙絵などで画面を埋め尽くしています。女性の髪型が社会的属性や年齢で規定され、心理や性格の表象にもなったことが思い出されました。元々日本文学は好きだったのですか。

絵画に描くため一生懸命読むうちに好きになりました。自分の場合、「好き」から制作に入ることはほとんどありません。実家にいた頃、親がたくさん持っていた日本文学全集を読み、自分がコンセプトにする百科事典と日本文学は、本つながりで何かできるのではないかとひらめいた感じです。

——『日本文学大全集』で取り上げた25人は、漱石や森鷗外、谷崎潤一郎、芥川龍之介ら大家だけでなく、知られざる作家も目立ち、バリエーションに富む印象です。女性作家も6人含まれています。

半数はオーソドックスな選定だと思いますが、確かにマニアックと言われそうな作家や作品もかなりありますね。あまり知名度がない作家は、私が積極的に入れたかった人が多いかもしれません。たとえば管野須賀子は革命家として知られていますが、社会主義に傾倒する前は小説を書いていたことはほとんど知られていません。早世した沖縄の摩文仁朝信は、経歴もよく分からないほど活動期間が短く、残した小説も『許嫁と空想の女』1作だけのようです。画中に描き込む台詞に、標準語でない地方の方言をぜひ入れたくて彼を探し出しました。

——なぜ方言を入れたいと考えたのですか?

一定期間の時間の流れという掴みどころがないぼんやりとしたものを表現するとき、多様性がないと本当ではないと思うからです。できれば画中の台詞を言う登場人物の性別や年齢、職業はもっと多彩にしたかったのですが、明治・大正期の文学はそこまでの多様性はなくて難しかった。地方を題材にした小説でもリアルな方言でないケースが多くて、当事者の生な声は少なく感じました。取り上げた25編は純文学から大衆小説、リアリズム小説、幻想小説までいろいろで、ジェンダーバランスを意識して女性作家をなるべく入れるようにしました。

日本文学大全集 明治四十二年の女 三千代 2018 キャンバスにアクリルグァッシュ 80.3 × 65.2 cm(夏目漱石『それから』 1909)

——指田作品の特徴のひとつは画面を埋め尽くすおびただしい図像や記号です。一例を挙げると《明治四十二年の女 三千代》は200個以上を描き込んでいます。モチーフはどうやって集めますか?

手順から言うと、最初は年表形式の書籍から使えそうな事柄を書き抜きます。でも最終形態が絵画なので、事件や出来事も写真、印刷物といったヴィジュアルを入手する必要があり、それを探しに図書館等に通います。かなり役に立ったのが新聞の縮刷版。調べたい所だけ探すと面白いものを見逃すので、全部のページを見ます。各分野の専門書や雑誌の復刻版、画集にも当たり、どんどん集めていきます。漱石作品には、電車が象徴的な意味を帯びてよく登場するのですが、当時走っていた車両のかたちを市電、都電の歴史書で確認したりしました。

——モチーフは政治、社会分野に属するものから人物、風俗、建築、商品、新聞記事、広告、食物まで目まぐるしいほど多士済済で、これは何か考えたり読み解いたりするのが面白い。藤島武二や竹内栖鳳の絵画、岸田劉生の麗子像など美術品も描き込まれています。1911年にレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》像があるのはなぜですか。

この年にルーヴル美術館から盗まれたのです。台詞と同じで、モチーフもいろいろなものがないと「本当ではない」気がします。また、多様なモチーフがあればあるほど、それが画面の外でも続いているような拡張性を感じさせることができるのではないかと思います。

——画面構成は、小説の物語に影響された部分はありますか。基本的に関係性を感じない絵画が多いのですが、祈るような手のかたちやステンドグラス風の構図がキリスト教を連想させたり、画中の緞帳が新時代の幕開けを思わせたりする作品もあります。

読書感想画ではないので、物語を表現するつもりはまったくありませんが、読んだ私を通しているので、伝わってしまう部分はあるかもしれません。つねに強く意識するのは1枚の絵画として成立する画面をつくることで、今回はあえて色彩の鮮やかさを強調しようと努めました。十二支シリーズのときは、馬は緑、犬は青という具合に各作品のテーマカラーを決めて制作しましたが、気を抜いて自然に描くと、つい“自分色”に引きずられて画面が渋い色調になってしまうので。

寅 2013 キャンバスにアクリルグァッシュ 80.3 × 100 cm 個人蔵

——今回の『日本文学大全集』は四半世紀を絵画化しました。時間や時代の表現をどう考えますか?

私のなかではシリーズ作品であることがポイントです。つまり十二支シリーズなら、12の動物の絵画がすべて揃うとガシャンと時間の輪が閉じ、そのまま時間のサイクルに従い永遠的に回り続けるような感覚があります。自分なりに“時間”を区切る手段として絵画をとらえているのかもしれません。『日本文学大全集』について言えば、1年間を1つの小説から絵画作品化する方法論はすでにあるので、まだ完成作は25点ですが、理論的にはまだ描かれていないものもすでに存在する。方法論が先立って、あまり制作のモチベーションは上がらないかもしれませんが(笑)。そもそも「百科事典」というコンセプトを立てたのも、自分が世界の森羅万象をすべて描き尽くしたい、網羅したい欲望が非常に強いからです。またそれぐらいしないと私が絵を描く意味はないと思っています。

——「百科事典の絵画化」は遠大なコンセプトだと思いますが、なぜ生まれたのでしょうか。

本格的に絵を描き出した当初から言葉に関連した図像や記号を調べて集め、画面に詰め込むスタイルでした。でも狙いが周囲になかなか理解されないので、「百科事典」というキャッチフレーズを考えつきました。自分の好きなモチーフで画面を埋める画家だと思われるのは不本意だし、何か言葉を立てないと全く違う方向性にとらえられる恐れがあるからです。百科事典なら一言で説明できるし、編集になぞらえられる点も良かった。学生時代に松岡正剛さんの編集工学の本を読み、存在している事物を組み合わせてクリエイティブなものを生み出す姿勢に共鳴したのもあると思います。

日本文学大全集 大正十年の男 “忰” 2019 キャンバスにアクリルグァッシュ 80.3 × 65.2 cm(内田百閒『件』 1921)

「オリジナリティ」という考えは疑わしい

——指田さんは画集冒頭の文章でも「自分の外にあるものを使って、絵を描こうとしてきた」と書いています。

画家としてのキャリアの最初の頃から「オリジナリティ」という考えは疑わしいと考えてきました。言葉は生きていくために絶対必要ですが、自分で一から創造するわけではありません。服も着ないといけませんが、奇抜なファッションにも限界があり、身体のかたちは無視できません。美術や絵画といった表現行為も一定のルールの中でプレーせざるを得ないのに、特別視するのはおかしい。

作家の属性や背景から作品を読み解く美術批評の主流的なアプローチにも抵抗があって、作品を「読まれる」のが避けられないなら、積極的に「読ませてしまおう」と思いました。画面に読ませる仕掛けが大量にあれば、自ずと目が行き、それが何なのか思い出したり考えたりする。つまり見れば見るほど、関心は作者に向かわず、鑑賞者の中に蓄積されたものが喚起されていきます。見る方に、イマジネーションを能動的に膨らましていただきたいと思うのです。

指田菜穂子。西村画廊にて

——指田さんの作品を前にすると2種類の絵画を思い出します。1つはフランドルの画家ピーテル・ブリューゲルの風俗画で、等価に細かく描き込まれた無数の人物や細部を1つずつ確かめながら見るうちに、徐々に画面全体の解像度が挙がっていく感覚が似通うように感じました。もう1つは浮世絵などの「もの尽くし」。どちらも「見るだけで楽しい」素朴な感情がまず喚起されます。

もの尽くしの考えは視野に入っていますね。もの尽くしの文化的意義は、同種類のものをたくさん連ねていくことで世界の豊かさを寿ぐことにあります。そういう前近代的な祝祭性に惹かれます。私がコンセプトにする「百科事典」は近代の理性により整理されたものですが、その合理性を絵画に求めているわけではありません。

——指田さんは一般大学の出身ですが、なぜ美術の道に進んだのでしょうか。

作家ではなく作品が語られるべきだと考えているので、ちょっと苦手な質問です。よく聞かれるのですが、色々な要因があってまだうまく説明できません。事実に即して言えば、現役で美大に合格したものの、そちらには進学しませんでした。でも、子供のときから画家になりたくて絵は描き続けました。大学4年生のときに村上隆さん主催の現代美術の祭典「GEISAI」のコンペに応募し、いまと違う企画画廊に声を掛けられました。

——制作は面白いですか? 「日本文学大全集」の続きはあるのでしょうか。

楽しんで描いていそうだとよく言われるのですが、大量の図像や新聞記事を細かく転写するのは写経みたいで結構つらいです。むしろ前段階のリサーチのほうが楽しい。「日本文学大全集」は今後も描いていければと思っています。

日本文学大全集 大正七年の男 貝島 2019 キャンバスにアクリルグァッシュ 80.3 × 32.6 cm 個人蔵(谷崎潤一郎『小さな王国』1918)

指田菜穂子(さしだ・なほこ)
1983年埼玉県生まれ。現在は東京を拠点に活動中。2006年早稲田大学政治経済学部政治学科卒、2009年東京大学大学院総合文化研究科修了。2006年に「GEISAI#10」スカウト審査員賞、2012年に第4回絹谷幸二賞奨励賞を受賞。他の主な個展に「十二支」(2016年、西村画廊)、グループ展に「VOCA展 現代美術の展望――新しい平面の作家たち」(2014年、上野の森美術館)など。作品は高橋コレクション(東京)、ビゴッツィ・コレクション(ニューヨーク)などに収蔵されている。初の作品集「日本文学大全集 1901-1925」が22年2月、アートダイバーから刊行された。

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永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。

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