公開日:2023年3月4日

戸谷成雄は解体された彫刻を、どのように再構築したのか。埼玉県立近代美術館「戸谷成雄 彫刻」展レポート

会期は5月14日まで。キャリア初期から近作まで40点を通じて、その全貌に迫る

会場風景より、《森Ⅸ》(2008)

埼玉県立近代美術館にて、「戸谷成雄 彫刻」展がスタートした。会期は5月14日まで。

戸谷成雄(1947〜)は、日本の現代美術を代表する彫刻家。愛知県立芸術大学大学院修了。1970年代より本格的な活動を開始して以来、ポスト・ミニマリズムやもの派の潮流のなかで批判にさらされ、解体しつつあった、表現としての「彫刻」に向き合い続けてきた。2004年に芸術選奨文化科学大臣賞、2009年には紫綬褒章を受章。武蔵野美術大学彫刻科名誉教授。

本展は、長野県立美術館(以下、長野県美)と埼玉県立近代美術館(以下、埼玉近美)による共同開催。長野県は戸谷の出身地、埼玉県は現在の拠点だ。昨年11月から今年1月までは長野県美で開催されていたが、埼玉近美での本展はそのたんなる巡回展ではない。というのも、長野県美は主に、代表作「森」シリーズに注目していたいっぽうで、埼玉近美はそれ以前、初期の具象作品も多数紹介するからだ。

担当学芸員の佐原しおりは、「戸谷は美術史のなかで、解体されていた彫刻を再構築した作家と説明されるが、私たちオーディエンスは「森」シリーズ以降の作品にふれることが多い。そのため実作品をもとに、再構築にいたるまでの過程を振り返る機会はなかった」とコメント。作家が評価を確立する以前の、試行錯誤の時期に焦点を当てている。

関係者内覧会で式辞を述べる戸谷成雄

戸谷は「現代彫刻家として活動してきたので、初期の作品を出展することには恥ずかしさがあった」と述べており、実際、自身の学生時代の作品を展覧会で見るのはかなり久しいという。以降では、展示作品について紹介していこう。

キャリア初期:「POMPEII・・79」「《構成》から」「《彫る》から」

展覧会は、愛知県立芸術大学の卒業制作展に出品された、最初期の作品で幕を開ける。《男Ⅰ 斜面の男》(1973)は内部が空洞となり「鎧化」した肉体が、斜面から滑り落ちるような感覚をもとに制作された作品。《器Ⅲ》(1973)は、ベトナム戦争の悲惨な情報が飛び交うなかで、何もすることができない自分を、「見ざる、聞かざる、言わざる」のような振る舞いとして内省した自刻像。どちらの作品も、ベトナム反戦運動や大学闘争が活発だった当時の日本社会のなかで、作家が抱えていた無力感や空虚さを感じさせる。

会場風景より、《男Ⅰ 斜面の男》(1973)とそのドローイング
会場風景より、手前左が《器Ⅲ》(1973)

奥に控える《POMPEII・・79 Part 1》(1974/87)は、東京・神田にあったときわ画廊での初個展における出展作品。本作はタイトルの通り、西暦79年のヴェスヴィオ噴火により埋没した、古代都市ポンペイに着想を得て制作された。ポンペイ市民の痕跡は、肉体の風化により空洞になった火山灰のなかに、石膏を注ぎ込むことで復元されており、戸谷はこれが彫刻の鋳造と同じ工程であることに注目した。戸谷の関心が、ポジとネガ、内と外、実体と空間といった彫刻が抱えるコンセプトへ、すでにキャリア初期から向いていたことがうかがえる。

会場風景より、《POMPEII・・79 Part 1》(1974/87)

通路には、初期作品のスライドショーや、80年から制作をはじめた「《構成》から」シリーズの作品《レリーフ》(1982)、「《構成》から」の部材を燃やすパフォーマンスのためのドローイング、記録映像が公開されている。

会場風景より、《レリーフ》(1982)
会場風景より、左から《閑さや岩にしみ入蝉の声》(1983)の記録映像、同作のためのドローイング2点

続く展示空間に配されたドローイングや《地下へⅡ》(1984)、《地下の部屋》(1984)はこのパフォーマンスに着想を得た作品。立ち昇る煙や、焼け残った石膏が地中に根を張るように沈んでいく様子が描かれたり、造形されており、ピンクや緑など鮮やかな色使いは戸谷の作品のなかで異彩を放っている。

会場風景より、奥の彫刻が《地下へⅡ》(1984)
会場風景より、《地下へⅡ》(1984)
会場風景より、《地下の部屋》(1984)

「《構成》から」と対をなすシリーズ「《彫る》から」は、彫刻におけるカービングという技法を観念的にとらえ直す試み。液状の石膏のなかに各鉄筋をランダムに埋め込み、石膏が固まったのち、滲み出た錆を手がかりに鉄の位置をあてるべく彫り進められるという手法が採用されている。彫刻における技術に注目しながらも、決められたルールに従ってミッションを遂行するというゲーム性を感じさせる、コンセプチュアルな作品群だ。

会場風景より、《床から》(1979/87)
会場風景より、《森の象の窯の死》(1989)

「森」以降:「森」「《境界》から」「洞穴体」

代表作の「森」シリーズは、木材をチェンソーで削り出した作品。本展に出品されている《森-Ⅰ》(1984)は、シリーズのなかで最初の作品。シリーズ初期の作品のみ、「《彫る》から」シリーズと同じく鉄筋が差し込まれており、これはチェンソーで木につけた傷とともに、戸谷が「視線」を造形言語として言い換えたものだ。

会場風景より、《森-Ⅰ》(1984)

本シリーズについて、昨年9月に行ったインタビューにおいて以下のように述べている。

あくまで構造として“森”と呼んでいたのだけど、周囲からはしだいに自然を想起させるエコロジカルな“森”として受容されるようになった。人間と環境の関係が取りざたされる時代の影響もあったと思います。最初、俺はそんなこと言ってないって思ったんだけど(笑)、でも途中から、みなさんが理解してくれているもののなかにも本質があるかもしれないと抵抗しなくなりました

制作当初の戸谷にとって「森」とは、視線がすれちがいながらも、互いを理解し合うようなシステムだと考えていたが、鑑賞者には、自然の森との視覚的な類似として受容されてきたようだ。ほかにも関連する作品として、《森Ⅸ》(2008)やそのドローイング、《地霊Ⅲ- a》(1991)、《森化Ⅱ》(2003)などが出展されている。

会場風景より、《森Ⅸ》(2008)
会場風景より、手前から《地霊Ⅲ- a》(1991)、《森化Ⅱ》(2003)

「《境界》から」は、1990年代半ばから後半にかけて集中的に制作されたシリーズ。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺人事件などが起こり、緊張が走っていた当時の日本社会のなかで、戸谷は社会と人間の双方向的な関係の「境界」に「彫刻」が存在するのではないか、と考えたという。彫刻のフォルムは、山津波に襲われた日本家屋に由来しており、先史時代における幼児の墓「甕棺墓(かめかんぼ)」が参照されている。

会場風景より、《《境界》からⅢ》(1995-96)

21世紀に入ると、戸谷は「ミニマルバロック」という造語を掲げるようになる。このコンセプトは、造形的な要素を極限まで還元させる「ミニマリズム」と複雑で躍動感のある造形が特徴の「バロック」という、一見すると相反しているように思える様式を同居させたもの。ミニマルな直方体に複雑な襞(ひだ)が彫られている《双影体Ⅱ》(2001)は、中央を起点に鏡像になるよう、対称に造形が施されている。

会場風景より、《双影体Ⅱ》(2001)

《洞穴体Ⅲ》(2010)は戸谷が制作の拠点を構える秩父地方が題材の、浮き彫り状の作品。地図上の山並みや水の流れを意識しながら重ね描きしたドローイングがベースとなっている。レリーフの裏面には、地面に耳を当てて音を聴く戸谷自身の身体をモチーフとした、有機的な量塊が控える。

会場風景より、《洞穴体Ⅲ》(2010)の表面
会場風景より《洞穴体Ⅲ》(2010)の裏面

展示前半を通じて見てきたように、戸谷は「森」以前から、自らが設定したシステムのなかで彫刻に関する多角的な問いを立てる、コンセプチュアルな制作をスタートさせていた。およそ半世紀にわたるキャリアのなかで、現代彫刻を牽引してきた戸谷成雄。作品の造形に注目することはもちろん、作家がどのように彫刻に挑んできたのか、その全貌を、ぜひ会場に訪れて確かめてほしい。

浅見悠吾

浅見悠吾

1999年、千葉県生まれ。2021〜23年、Tokyo Art Beat エディトリアルインターン。東京工業大学大学院社会・人間科学コース在籍(伊藤亜紗研究室)。フランス・パリ在住。