公開日:2022年12月21日

「諏訪敦『眼窩裏の火事』」(府中市美術館)レポート。「みること、あらわすこと」を問い続ける絵画

亡き人や歴史上の出来事など不在の対象に肉薄する画家、諏訪敦の個展が府中市美術館で2023年2月26日まで開催中。

会場風景

不可視の存在を精緻に描く

丹念な取材と思索を経て、眼ではとらえきれない題材を精緻な再現的描写で描く画家の諏訪敦。その公立美術館では11年ぶりの個展「諏訪敦『眼窩裏の火事』」が東京・府中市美術館で12月17日から開催されている。会期は2023年2月26日まで。

1967年生まれの諏訪は、写実絵画のトップランナーの一人と注目されながらも、「対象を目に映る通りに描く」写実性からの脱却を目指し、認識そのものを問い直す作品を手掛けてきた。会うことがなかった、終戦直後の旧満州(中国東北部)で病没した祖母をテーマにした「棄民」は代表的シリーズだ。本展を企画した同館の鎌田享副館長補佐兼学芸係長は、「諏訪さんは見たままや想像ではなく、取材やインタビュー、文献資料による膨大な“証拠”を積み上げ、対象を自身のなかにつかみ取るプロセスを経て新たな視覚像として絵画を提示する。本展では近年の関心に焦点を絞り、最新の制作状況を紹介した」と説明する。

会場風景より、諏訪敦《HARBIN 1945 WINTER》(2015-2016)

満州で病没した祖母をテーマに

第1章「棄民」は、病に倒れた病室の父の姿を克明に描いた《father》(1996)に始まり、死去した父の顔のクローズアップ、父に似ていると感じた幼い長男の寝顔の水彩画へと続く。諏訪が「棄民」シリーズを制作した端緒は、亡くなった父が遺した手記から終戦した1945年冬に満州ハルビンの難民収容所で命を落とした祖母と叔父の存在を知ったことだった。「父や祖母が体験したこと、見たであろうものを、自らの目で可能な限り探り出す」(*1)ため、2回にわたり現地を取材し、過去の出来事の絵画化に取り組んだ。

会場風景より、左が諏訪敦《father》(1996)
会場風景より、諏訪敦《こども》(2008)など

シリーズと同名の《棄民》(2011-13)は、縦約2.5mという大画面の母子像だ。父を抱いた祖母の姿が描かれているが、顔の下半分はなかば白骨化し、幼子の顔も部分的に黒く塗られている。国策により中国に送り込まれた満蒙開拓移民は、過酷な逃避行のなかで約8万人が犠牲になったが、本作からは数値が表わしえない一つの家族の悲劇が迫ってくる。

雪原に横たわる極限まで痩せ衰えた裸婦像。祖母の死をテーマにした《HARBIN 1945 WINTER》(2015-16)は、最初に健康な状態で描き、祖母を死に至らしめた栄養失調や病の症状を取り込んで描き改めていく特異なプロセスで制作された。会場は本作に加えて、大スクリーンに各段階の画面やドローイングが投影され、作家が医学的にも緻密に「死」を追体験していったと分かる。作中で無残に変容させた女性の尊厳を回復する思いを込めた《依代》(2016-17)、同郷出身の父と満州建国の主導者をいずれも幼少期の姿で描いたドローイングなども展示されている。

会場風景より、左は諏訪敦《棄民》(2011-13)
会場風景より、「棄民」シリーズの取材資料一式
会場風景より、諏訪敦《依代》(2016-17)
会場風景より、諏訪敦《Untitled(未完成)》(2017/2021-22)
会場風景より、左から諏訪敦《鶴岡の少年(諏訪豊)》(2012/2021)、同《鶴岡の少年(石原莞爾)》(2012/2021)

西洋の静物画を再解釈

静物画に焦点を当てる第2章は、照明を落とした展示室に壁面や台上の作品が浮かび上がり、博物館の一室を思わせる。コロナ禍のなか、諏訪はデザイナーの猿山修、森岡書店店主の森岡督行とユニットを組み、西洋美術史の重要ジャンルである静物画の探究に取り組んだ。会場には、頭蓋骨や花など伝統的モチーフの再解釈や、透明なガラスや水をとらえて静謐感に満ちた絵画が並ぶ。

会場風景より
会場風景より
会場風景より、中央は諏訪敦《Chromatophore》(2020-22)

日本の写実絵画の先駆者、高橋由一の《豆腐》(1877)から着想した複数の作品も目を引く。原画の一部を省略したり、豆腐に骨を組み合わせたり。それぞれの図像は、日本の近代美術史に対するアイロニカルな眼差しを感じさせる。2011年に起きた福島第一原発事故のイメージを重ねた《岩戸へ》(2020)も、豆腐がモチーフに使われている。

会場風景より、諏訪敦《不在》(2015)
会場風景より、左は諏訪敦《岩戸へ》(2020)

鑑賞するうち一部の画面に見える白い揺らめきや光点に気づくが、これは諏訪が近年悩まされている眼の酷使による視覚症状を描き映したもの。実在しない現象の描写は、画家のビジョンに基づく絵画の本質や視覚を通じた認識のあり方を考えさせる。本展のタイトル「眼窩裏の火事」も、諏訪のその体験に由来している。

会場風景より、諏訪敦《眼窩裏の火事》(2020-22)

絵画を通じて死者と出会う

第3章「わたしたちはふたたびであう」は、制作の大きなウェイトを占める肖像画と人物画が集まった。諏訪が描くのは実在する人物だけでなく、亡き人も含まれる。「故人を知る人々に可能な限り話を聞き、家族のデッサンを重ねて故人に繋がる容姿を探り」「亡き人に関する情報を一つひとつ拾い集めながら、諏訪自身の中でその人物像を再構成していく」(*2)制作過程は、長い時間を要し、完成まで何年もかかることも珍しくない。鎌田副館長補佐は「対象と絵画を経由して再会を果たすという、不可能と思える取り組みに挑み続けている」と話す。

会場風景より、左は若くして亡くなった医学生の肖像を描くため、体格の参考に作られた石膏像
会場風景より、左から諏訪敦《ジャーナリスト 佐藤和孝氏の肖像(三十歳代の佐藤和孝)》(1995-97/1998)、同《佐藤和孝(四十歳代の佐藤和孝)》(2002)
会場風景より、諏訪敦《山本美香(五十歳代の佐藤和孝)》(2013-14)。シリア内戦を取材中に銃撃され亡くなったジャーナリストの山本美香は、諏訪が影響を受けたジャーナリスト・佐藤和孝のパートナーだった。山本の瞳の中に佐藤の姿が描きこまれている

現在の制作スタイルの出発点になったのは、1999年の前衛舞踏家・大野一雄(1906~2010)との出会いだ。当時90歳を超えていた大野に取材を申し込んだ諏訪は、過去の映像や文献も調べて、理解を深めたうえで肖像画を制作したという。本展を締めくくる展示室には、屹立する大野像やベッドに横たわる姿の作品、ドローイングが展示され、「身体表現の巨人」の強烈な存在感が目に焼き付く。

会場風景より、諏訪敦《大野一雄立像》(1999/2022)
会場風景より、諏訪敦《大野一雄》(2008)

諏訪にとり大きな存在だった大野が死去した後も、彼を描く行為は続く。「模倣」を意味する新作「Mimesis」(2022)は、大野の舞踏をコピーするパフォーマーの川口隆夫(1962年生まれ)をモデルに描かれた。画中の踊る幾つもの腕や流れる線は、受け継がれる表現のバトンや重なる時間層が強く感じられ、不可視の存在を追求してきた画業の新たな到達のように思えた。

会場風景より、諏訪敦《Mimesis》(2022)

*1──本展図録『諏訪敦 眼窩裏の火事』、p. 20
*2──同上、p. 116

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。