公開日:2023年4月21日

森美術館開館20周年記念展「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」レポート。テストも暗記もない「教室」で世界について学ぶ

学校の科目を入口に、現代アートを通じて世界について学ぶ展覧会が東京・六本木の森美術館で9月24日まで開催中。54組のアーティストが出展する会場の様子をレポート。

会場風景より、ヤン・ヘギュ《ソニック・ハイブリッドーデュアル・エナジー》(2023、部分)

54組の作家による約150点が大集合

森美術館の開館は2003年10月。都市開発の新しいモデルとして「文化都心」を掲げた六本木ヒルズの象徴として森タワー53階に設けられた。以来、59本の企画展と72本の小企画展、1828本のラーニングプログラムを開催し、これまでに訪れた観客は延べ1874万人(本展図録より)。2007年に開館した国立新美術館サントリー美術館とともに、六本木が国内有数のアートスポットへ変容を遂げる起爆剤になってきた。

その20周年記念展「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」が4月19日に開幕した(会期は9月24日まで)。学校で習う教科を入口に現代アートを「未知の世界」に出会う存在と位置づけ、54組のアーティストによる約150もの作品を展示する大規模展だ。同館コレクションをまとまった形で公開しているのも特徴で、展示作品の約6割を占める。企画は同館のキュレーター全員が携わり、片岡真実館長と熊倉晴子アシスタント・キュレーターが主担当を務めた。

企画意図について、片岡はプレス内覧会でこう述べた。
「森美術館は開館以来、現代性と国際性を追求し、現代アートを幅広い層に広げる役割を担ってきた。この20年間に現代アートはグローバル化し、従来の欧米中心でなく、世界各地から発信されるようになった。よく知らなかった国・地域の作品と出会う機会が増え、その背景にある社会や文化を『学ぶ場』として現代美術館をとらえるようになり、それが今回の展示につながった」

森美術館の会場入り口に立つ出品作家ら。左から奈良美智、ヤン・ヘギュ、片岡真実森美術館館長、宮永愛子、宮島達男、高山明

国語:言葉や言語、文学を起点として

最初のセクション「国語」の冒頭を飾るのは、コンセプチュアル・アート運動の先駆者ジョセフ・コスースの《1つと3つのシャベル》(1965)。シャベルの実物と写真、辞書の定義文が壁に並び、その本質を問いかける。本展は、概念を重視したコンセプチュアル・アートを象徴する本作をはじめ、現代美術史の参照点となる重要作品が複数展示されて、見どころのひとつになっている。

続いて、近現代の知識人が使った眼鏡にその文章や楽譜を組み合わせた米田知子の写真シリーズ「見えるものと見えないもののあいだ」(1998~)や、消滅した言語の音声記録を視覚化したスーザン・ヒラーの映像作品などを紹介する。本展のメインビジュアルになったワン・チンソン(王慶松)の《フォロー・ミー》(2003)は、巨大な黒板と教師役を思わせる作家本人を写した大型写真作品。英語と中国語による文言やスローガンで埋め尽くされた黒板は、マクドナルドやナイキなどのロゴも点在し、急速な欧米化を風刺する視点も感じさせる。

会場風景より、米田知子「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズ(1998〜)
会場風景より、ワン・チンソン(王慶松)《フォロー・三―》(2003)
会場風景より、イー・イラン《ダンシング・クイーン》(2019)。アバやレディー・ガガらのヒット曲の歌詞を部分的に引用し、マレーシア・ボルネオ島の織手と共作した織物作品

社会:歴史や政治、経済と向き合う

次の「社会」のセクションは、世界各地の歴史や政治、地理、経済にまつわる作品を紹介。どれも現代アートで頻繁に取り上げられるテーマだけに本展最大のボリュームを占めており、多彩な作品を鑑賞できる。

展示は、市民参加を重視する「社会彫刻」の概念を唱えたヨーゼフ・ボイスが1984年の来日時に東京藝術大学での講義で使った《黒板》からスタート。次いで、東洋人男性である自分を「異物」として西洋の名画に挿入した森村泰昌の大型写真作品、漢時代の壷を割る行為を通じ伝統的価値の破壊を表したアイ・ウェイウェイ(艾未未)の写真作品などが並ぶ。中国出身の活動家でもあるアイは2009年に大規模個展を同館で開催しており、本展は森美術館の20年間の軌跡を振り返る要素も含まれている。

会場風景より、左から森村泰昌《肖像(双子)》(1989)、同《モデルヌ・オランピア2018》(2017-18)
会場風景より、アイ・ウェイウェイ(艾未未)の展示。後ろ3点は《漢時代の壷を落とす》(1995/2009)、手前は《コカ・コーラの壷》(1997)

ここから正史が取りこぼした歴史や個人の物語にフォーカスした作品が続く。マレーシアのコレクティブ、パンクロック・スゥラップは、第二次大戦後に3ヶ国間で一時協議された連合体構想や、リーダーの苦衷をアイロニカルに表現した木版画を展示。横に並ぶ風間サチコの作品とともに、アジアの伝統的な媒体である木版画のパワフルな表現力を感じさせた。

会場風景より、左からパンクロック・スゥラップ《マフィリンド》(2015)、同《どうやら3つの国家の統治は簡単にはいかなそうだ》(2015)

何気ない風景が場所の意味を知った途端、違う表情を帯び始めるーー。そんな経験をしたのが、カンボジアのヴァンディー・ラッタナとシリア出身のハラーイル・サルキシアンによる写真群。前者はベトナム戦争で米軍が落とした爆撃により生じた池、後者はかつて公開処刑が行われた様々な都市の広場を撮影した。2009年にアジア初の大規模個展を同館で行ったベトナムのディン・Q・レによる、ベトナム戦争の従軍画家をテーマにしたインスタレーションもある。

ヴァンディー・ラッタナ「爆弾の池」シリーズ(2009)
会場風景より、後ろがハラーイル・サルキシアン「処刑広場」シリーズ(2008)。右手前のマイクなどは、インド初代首相ネルーの演説を再演したシルパ・グプタ《運命と密会の約束ー1947年8月14日、ジャワハルラール・ネルー(1889-1964年)による憲法議会演説》(2007-2008)
会場風景より、ディン・Q・レ《光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ》(2012)

資本主義や経済の問題に切り込んだ作品も目を引く。工業ミシンを用いて刺繍を行う青山悟がリーマンショックなどを念頭に制作した立体作品、急激な円高をもたらした「プラザ合意」(1985)の余波を虚実ないまぜに再構成した田村友一郎のインスタレーション、マレーシアのイー・イランがボルネオ島の織手と共作したタペスリー作品などだ。カラフルなテーブル模様が織り込まれたイーの《TIKAR/MEJA(マット/テーブル)》は、まず生活様式を変化させて搾取のシステムをつくる植民地支配を象徴するという。2011年の東日本大震災後の被災地をドキュメントした畠山直哉、中国のドラァグクイーンらの姿を撮影した菊池智子の連作写真は、困難のなかで生きる人々や自然の様相を抑制的にとらえて鑑賞者の情感を揺さぶる。

会場風景より、手前と右の作品は青山悟「Glitter Pieces」(2008-2010)、後ろに見える文字は田村友一郎作品の入口
会場風景より、田村友一郎《見えざる手》(2022)
会場風景より、イー・イラン《TIKAR/MEJA(マット/テーブル)》(2022)
インドネシアのコレクティブ、ジャカルタ・ウェイステッド・アーティストの《グラフィック・エクスチェンジ》(2015、部分)の展示風景。新たな看板制作と引き換えに、さまざまな商店から譲り受けた看板で構成した本作は、変容していく大都会の生活記録でもある
会場風景より、畠山直哉「陸前高田」シリーズ

哲学:生と死の根本原理を追求

続いて、学校科目にない「哲学」のセクションへ。冒頭に展示されているのは、円形や豆腐に経文を描く手の動きを撮影した台湾のツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)の映像作品。タイのアラヤー・ラートチャムルンスックの《授業》(2005)は、死者を前に講義を行うショッキングな映像作品ながら静謐さが印象深い。いずれも東洋的な精神性に裏打ちされた作品と言えるだろう。

事物の関係性を追求する李禹煥(リ・ウファン)や独特の子供像を描く奈良美智ら、日本を拠点に活動する著名作家の代表作がそろうのも特徴だ。無数の数字が点滅を繰り返す宮島達男の《Innumerable Life/Buddha CCIƆƆ-01》(2018)は、生命の循環や時間の存在を強く意識させる。生や死、実存という、すべての人間に不可避な問題を扱う本セクションは、いっそ「道徳」と銘打っても良かったのではないか。

会場風景より、左からツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)《円Ⅱ》(2011)、同《豆腐にお経》(2005)
会場風景より、宮島達男《Innumerable Life/Buddha CCIƆƆ-01》(2018)
会場風景より、手前は李禹煥(リ・ウファン)《関係項》(1968/2019)、後ろは同《対話》(2017)
会場風景より、奈良美智《Miss Moonlight》(2020)

算数:普遍的な法則を投影する

普遍的法則の数学は、クリエイティブな領域でもあり、「黄金比」が知られるように芸術とも関係が深い。4つめのセクション「算数」は、イタリアの「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」の代表的作家マリオ・メルツの《加速・夢・まぼろし》(1972/1998)が観客を迎える。自然界でも見られるフィボナッチ数列と角が生えたオートバイを組み合わせ、工業化社会への批評的な視線を伝える作品だ。

杉本博司《観念の形》(2004)は、東京大学総合研究博物館所蔵の数理模型を撮影した写真シリーズ。今回、三次元曲線が美しい幾何学模型群「Surface」全13点を初めてそろって公開した。数学的な概念をパフォーマンスに投影する笹本晃の映像作品、描く対象から導き出した数値を配色や構図に転換する片山真妃の絵画作品も紹介されている。

会場風景より、左2点は片山真妃の絵画、右は杉本博司「観念の形」シリーズ(2004)
会場風景より、笹本晃《ドー・ナッツ・ダイアグラム》(2018)

理科:実験精神が生む創造

「理科」のセクションは、物理や化学、生物などの領域と交錯し、実験性が高い作品が多く紹介されている。アメリカのサム・フォールズは、直接キャンバスに草花と染料を置き、一晩放置してから草花を取り除く手法で絵画化を行う。自然との共作とも言える作品は、偶然性と光や風、雨が作り出したえも言われない温かみがある。

常温で気化するナフタリンを用いる宮永愛子は、新作《Root of Steps》を出品。ここ六本木に居住通勤する人の靴を模した複数の彫刻が、白く発光しながら一角に並ぶ。彫刻はやがて消えるが、微細な再結晶は残り、「見えなくてもその場に存在する」という作家のメッセージを伝える。梅津庸一の陶の作品群《黄昏の街》(2019-2021)、カンボジアのソピアップ・ピッチが手掛ける竹と籐製の大型オブジェは、伝統技法の更新によるコンセプチュアルな造形の可能性を感じさせた。

会場風景より、左から梅津庸一《黄昏の街》(2019-2021)、ロデル・タパヤ《早起きは三文の徳》(2012)
会場風景より、手前はソピアップ・ピッチ《ラージ・シード》(2015)、後ろはサム・フォールズ《無題》(2021)
会場風景より、宮永愛子《Root of Steps》(2023、部分)

「音楽」「体育」のセクションは、映像作品で構成。スクリーニング形式で、サウンドや無音体験、身体、パフォーマンスを主題にした要チェック作品を上映する。2003年のヴェネチア・ビエンナーレで国別部門の金獅子賞を受賞したルクセンブルグのツェ・スーメイの《エコー》(2003)、身体の政治性に着目したドイツのクリスチャン・ヤンコフスキー《重量級の歴史》(2013)などを鑑賞できるので、見逃さないようにしたい。

総合:全体像を多角的に把握する

最後の「総合」のセクションは、様々な参照点を持ち、領域横断的な制作が際立つ作家に焦点を当てた。韓国のヤン・ヘギュは一室を丸ごと使い、エネルギーの循環を意識した新作群を展示。日系ブラジル人作家の大竹富江の彫刻と原子力発電冷却塔の形を引用した立体作品、気象記号や自然現象のイメージで構成した壁紙など、多様な学びが織り込まれているとわかる。

ラストは、都市空間を舞台に実験的プロジェクトを展開する高山明の活動をドキュメント形式で紹介。美術館と外の世界を接続するように、会期中は難民によるレクチャーを聞く《マクドナルドラジオ大学》(2017~)も実際に店で開講されるのでぜひ体験したい。

会場風景より、ヤン・ヘギュ《ソニック・ハイブリッドーデュアル・エナジー》(2023、部分)
会場風景より、ヤン・ヘギュの展示。壁面に設置されているのはドアノブを使った《ソニック・ローティング:半球状のどこかへの入口たち》の作品
会場風景より、高山明のプロジェクトを紹介する一室

本展について、出展作家のひとりである宮島達男はこう語った。
「詰め込み型・暗記型の日本の教育を批判しているとも感じられる。今や答えがある設問はChatGPTが回答してくれるいっぽう、コロナ禍のように従来の経験値は歯が立たない困難な問題は今後ますます起きるだろう。そのなかで、直観知に基づき深掘りしたり、人種や言語の差異を超えて人々を共感で結びつけたりする現代アートは、教育にとって大変重要になるのではないか」

学ぶ意欲が高まるこの季節、現代アートの初心者も上級者も様々な学びができそうな本展。映像作品も多いので、時間に余裕を持った訪問をお勧めしたい。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。