大正から昭和にかけて活躍した画家・川端龍子(かわばた・りゅうし/1885-1966)。
和歌山県に生まれた龍子(本名:昇太郎)は10歳の頃家族とともに上京、18歳の時、読売新聞社記念事業「明治三十年画史」に入選したことで、画家の道を意識し始めます。白馬会洋画研究所に通い、洋画の基礎を学ぶものの、筆一本で生活費をまかなうことは出来ず、様々な雑誌の挿絵を描くなどして生計を立てながら、洋画家としての活動を続けます。そうした中、龍子は絵画研究のため単身渡米し、ボストン美術館で見た日本の古美術に感銘を受け、大正3(1914)年日本画へ転向、翌年の再興第2回日本美術院展覧会で入選を果たします。以降、洋画の知識を積極的に取り入れつつ、独自の色彩感覚や画風で画壇に旋風を巻き起こしていきました。
しかし、昭和3(1928)年には同院を脱退し、翌年、在野の日本画団体・青龍社(せいりゅうしゃ)を自ら創設します。展覧会の鑑賞スタイルが時代とともに変化していることを見抜いた龍子は、「会場芸術」の名のもと極めて大きなスケールの作品を次々に発表し、亡くなる直前まで筆を握り続けました。
2026年は川端龍子の没後60年にあたります。この節目に開催する本展では、高等小学校時代の習作から青龍展出品作までの作品をもとに、龍子がどのような日本画を追い求めていったのかを考えます。また当館が所蔵する龍子作品もあわせて公開いたします。
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