「門」は自己と外界の間に聳え、意味と意味以前の世界を隔てている。認識と共有のために存在が意味化され引き換えに消え失せてゆくその瞬間を見つめることは、山﨑にとって制作のみならず人生そのものを貫くテーマである。
「はじめに言葉あり。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」
ヨハネによる福音書のこの一節を山﨑は、ものごとを言葉がただ指し示すのでなく、それが渾沌を分割することによってものごとがはじめて意識の中に存在するのだと読む。そして氾濫する意味に溺れることは意識を意味の枠組みに押し込める知性と感性の敗北であり、際限なくそれが加速する現代社会を憂いている。
写真はものを伝えるが、山﨑はそれを拒絶する。レンズに映し印画紙に焼いた作品ではあるが、伝わったものはもはや魚拓にすぎないと考えるからだ。画面から伝えるべき意味やストーリー、思いといったものを徹底的に削ぎ落とし、そこに残る歌のようなものにただ耳を傾けている。
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