KAYOKOYUKI吉村宗浩は、郊外の風景や人物像を主なモチーフとして絵画を制作してきました。森のなかに建つ家、道路沿いの建物、町はずれの道、人々が集う広場。そこに描かれる光景は私たちにとって見覚えのあるものですが、同時にどこか現実から少しずれた不穏な印象を与えます。鮮やかな色彩、不思議な存在感を放つ人物たち、そして説明されることのない物語の気配。吉村の絵画には、親しみやすさと不穏さ、懐かしさと異物感が同時に存在し、見る者はいつの間にかその世界へと引き込まれていきます。
本展のタイトルである「町はずれの幻術」は、作家が過去にも用いてきた言葉です。吉村はインタビューのなかで、「町はずれ」という言葉に、文明の果てや終わりの気配のようなものを重ねていると語っています。それは都市の中心から少し離れた場所に漂う独特の空気への関心といえるでしょう。幹線道路沿いの建物や住宅地の外れ、少し先へ進めば何もなくなってしまいそうな場所。本展に出品される《ピンクの家》《双子の大男の住む町》などにも、そうした感覚が通底しています。そこには日常の延長でありながら、どこか別の世界へとつながっているような感覚が漂っています。
一方で吉村の絵画には、特徴的な人物たちが繰り返し登場します。彼らは決して英雄的な存在ではありません。どこか頼りなく、不器用で、ときに滑稽ですらあります。吉村自身「かっこいいものは描きたくない」と語っています。しかし、その眼差しは決して人間を突き放すものではなく、弱さや悲しみ、居心地の悪さを抱えながら生きる人間への親しみや共感、不完全な人間という存在への温かな愛情と軽やかなユーモアによって支えられているように思われるのです。
吉村は、完成した作品であっても何度も描き直してしまうといいます。その理由について本人は「美なんですよ」「いい絵を描こうっていうだけが絵を描いてる目的」と語ります。このような、吉村のまず絵画そのものに向き合うというあまりにも素朴だけれど頑固で誠実な姿勢は、吉村の絵画を考えるうえで特筆すべき点であり、このことは、吉村の作品における物質としての絵画的な強さ、堅牢さの根拠となっているといえます。繰り返し現れるモチーフも、単に物語の登場人物であるだけではなく、絵画という営みそのものを探求する過程のなかで生まれてきた存在であるのかもしれません。また、自分の絵画では「写真的な写実ではなく絵画的な写実を描きたい」とも述べています。西洋絵画への深い関心を背景に、より良い絵画を求めて制作を続けてきた画家の姿勢は、本展の作品群にも通底しています。
ユーモアと悲しみを湛えた吉村の絵画は、世界の片隅にいる誰かのための物語であると同時に、私たち自身の姿を映し出す鏡でもあります。現実と空想、親しみと違和感、美しさと滑稽さ。相反する要素を抱え込みながら、吉村の絵画は私たちを現実と空想のあわいに存在する町はずれへと誘います。見慣れた風景の少し先へ、日常のなかに潜むもうひとつの世界の小さな入口が開かれているのかもしれません。
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