
会場風景より、村上慧《多すぎず、少なすぎないように》
京都・丹波地域の複数エリアで行われている「第43回全国都市緑化フェアin京都丹波」。そのメイン会場のひとつである京都・亀岡保津川公園で、野外アートイベント「ART PARK PROGRAM」が9月18日〜11月8日に開催されている。
広大な公園・農地という開かれた場所で多様な作品が点在する本イベントでは、アート、農小屋、市民チーム活動という3つのアプローチから、土地や自然の歴史、人の営みと向き合い、それぞれが共鳴しながらこの場所ならでは風景を作り上げている。
ここでは、美術評論家の三木学が「万博後」の芸術祭や建築を見据える視点から本イベントをレビュー。前編では、イベントの成り立ちと農小屋プロジェクト「Bricoyage」の10作品を論じる。【Tokyo Art Beat】
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大阪・関西万博の翌年であり、2027年に横浜で開かれる「国際園芸博覧会(GREEN×EXPO 2027)」の前年にあたる今年、京都府亀岡市などを舞台に「第43回全国都市緑化フェアin京都丹波」が開かれている。そのメイン会場のひとつ、京都・亀岡保津川公園で展開されているのが「ART PARK PROGRAM」である。万博とは比較にならない小さな試みだが、そこには万博後の芸術祭や建築が向かうひとつの方向が示されている。
JR亀岡駅は京都駅から快速で20分ほど、保津川下りの起点の町である。北口を出て5分も歩けば、畦の残る田園が広がる。約14ヘクタールの会場には、野外アート展示「Art Sprout(アート・スプラウト)」、農小屋プロジェクト「Bricoyage(ブリコヤージュ)」、市民育成プログラム「ハラッパー」の3つからなるART PARK PROGRAMのほか、建築家・大野宏による竹と稲藁の作品群、台湾の工芸チームによる竹の作品などが点在している。会場を設計した高野ランドスケーププランニングと一般社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会は、そのテーマを「里藝(さとげい)」と名づけた。

亀岡には以前から、京都の美術大学を卒業した多くのアーティストがアトリエを構えてきた。しかし発表の場は主に市外にあり、桂川孝裕市長は「芸術家はここで作品を作って、全部都会や海外で発表してたんです」と振り返る。アートは地元で生産されながら地元では消費されない「輸出品」だったのである。それを地域につなぐために2018年に始まったのが「かめおか霧の芸術祭」であり、亀岡在住の陶芸家で総合プロデューサーを務める松井利夫らが切り開いてきたその活動を、今回のフェアは集約するものだという。
亀岡は霧の町として知られる。晩秋から初春の晴れた夜、放射冷却で冷えた空気が周囲の山々から流れ下って盆地の底に溜まり、風が遮られるため日が高くなるまで盆地を覆い続ける。いわゆる丹波霧である。視界を奪い交通を妨げる霧をあえて芸術祭の名に掲げたのは、それを負の条件ではなく土地の個性としてとらえ直すためであった。
駅南口には、30年ほど前から亀岡に制作拠点を構えるヤノベケンジの《SHIP'S CAT MISTY》が設置され、駅の北側から会場にかけては、西野康造、崔石鎬、山口牧生ら亀岡ゆかりの作家の彫刻が来訪者を導いている。

地域外から作家を招いて滞在制作させる芸術祭が定型となったなかで、亀岡の出発点は、すでにこの土地で制作している人々の存在にある。それは企画する側にも及ぶ。Bricoyageを企画する農小屋学会に加わり、ハラッパーのディレクターを務める辰巳雄基は亀岡に拠点を構え、Art Sproutのディレクターである野田智子(Nadegata Instant Party)は、亀岡にルーツをもつパートナーの山城大督とともにTwelve Inc.を経営している。

会場そのものにも来歴がある。一帯はもともと京都サンガF.C.のスタジアム建設予定地だったが、国の天然記念物である淡水魚アユモドキの産卵場所があったことから、2016年に建設位置が駅のすぐ北側へ変更された。現在のサンガスタジアム by KYOCERAである。残された広大な市有地では、アユモドキの保全と有機農業が結びつき、有機農家や研究者による田植えが始まった。市は2023年に「オーガニックビレッジ」を宣言し、有機農法の市民学校の運営を株式会社ビオかめおかに委託している。作られた有機米は、地元の子供たちの給食に使用されており、出口まで設計されているのだ。
田んぼで生まれるプランクトンがアユモドキの餌になるという連鎖を語りながら、市長は「これも循環ですよ」と語った。市はさらにこの土地を京都・亀岡保津川公園として整備し、緑化フェアを誘致した。市長によれば、大阪・関西万博と横浜の園芸博覧会の「間の谷間」にあたる年の開催地が決まっていないことを知り、国に働きかけたという。
芸術祭のために場所が作られたのではなく、土地の使い方を考え続けてきた循環のなかに、アートがつながった。亀岡で生まれたアートが亀岡の人々に届く。食と芸術のふたつの「地産地消」が、同じ駅北の田園で重なり合っているのだ。