自然環境との協働から生まれる抽象画。キャスリーン・ジェイコブス インタビュー

ファーガス・マカフリー東京とCADAN有楽町で、日本初個展を同時開催中のキャスリーン・ジェイコブス。アメリカに生まれ育ち、イタリア、中国へと渡り、各地の芸術・文化を吸収。森のなかでの樹木のフロッタージュをもとに独自の「線」の表現を探求する作家に、話を聞いた。

キャスリーン・ジェイコブス 撮影:編集部

木の幹に布を巻き、樹皮の模様を写し込む特異な手法による抽象絵画、および陶作品を制作し、欧米で注目を集めるアメリカ人アーティスト、キャスリーン・ジェイコブス。そのアジアで初となる個展ファーガス・マカフリー東京(表参道、7月16日まで)とCADAN有楽町(有楽町、6月5日まで)の2つのギャラリーで同時開催されている。中国で伝統絵画の描法と書道を学び、その経験に根差す創作活動を行うアーティストに、独自の手法が生まれた背景や制作プロセスなどを聞いた。

「キャスリーン・ジェイコブス展」(ファーガス・マカフリー 東京)会場風景 提供:ファーガス・マカフリー 東京 写真:丸尾隆一

中国・日本の美術と文化からの影響

──今回初めてジェイコブスさんの作品を拝見しました。わずかな色彩と線だけで構成されたミニマルな抽象絵画ですが、山水画のような空間性を感じさせ、作品によっては青色にきらめく海景やモノトーンの雪景色のようにも見えます。野外に画布を置くことで生じた絵具の滲みや染み、褪色といった複雑なテクスチャーも魅力的で、炎に焼かれ偶発的にできる陶器の「景色」を思い出しました。アジアでの初個展をどのように感じていますか。

日本で作品をお見せすることは長年の夢だったので光栄に思います。私の作品は中国・日本の美術と文化の影響を受けているのですが、日本ではアジアの文化遺産が保存されて、いまも様々な場所で見ることができるので、来日する度に刺激を受けます。

私は義理の父だった中国の著名な画家、黄永玉(ホアン・ヨンギュ、1924年生まれ)から非常に強い影響を受けました。日系アメリカ人アーティストのヒロキ・モリノウエ(1947年生まれ)に学んだ木版画は、木の表面に刻まれた模様を写し込む現在の手法につながりました。私には多くの陶芸家の友人がいて、私が陶芸を手がけるように背中を押してくれ、そのひとりが中里隆(1937年生まれ)です。唐津の名門・中里家出身で世界中を回って陶芸を指導する中里さんとは以前住んでいたアメリカのコロラド州で知り合いました。大家なのに自然体な方で、自分が完璧に成形した大鉢を指して「さあ、絵を描いて仕上げて!」と言われた時はビックリしました(笑)。陶芸制作は、自然がもたらす偶発的な変容を受け入れる意味で、間違いなく私の絵画に影響を及ぼしています。また人真似を排しオリジナルな手法を追求した日本の「具体(美術協会)」の活動は、私のモットーと重なり、共感を覚えます。これまでアジアの伝統美術と現代作家から様々なインスピレーションを授けられてきたので、その地で作品を発表できるのは感慨深いです。

「キャスリーン・ジェイコブス展」(ファーガス・マカフリー 東京)会場風景 提供:ファーガス・マカフリー 東京 写真:丸尾隆一

──ここファーガス・マカフリー東京は絵画の大作9点、CADAN有楽町は小型の絵画作品を中心とする展示です。どのようなテーマと構成ですか。

東京で個展を行う計画はかなり以前からあり、ファーガスがマサチューセッツ州にある私のスタジオを訪れて一緒に作品を選んだのは4年前のことです。その後、新型コロナウイルス感染症の拡大ですべてのスケジュールが飛び、開催時期の見通しが立たなくなったので、作品は再梱包されて倉庫に眠っていました。作品選びのときからファーガスにはどの作品をギャラリーのどの位置に展示するか、明確なプランがありました。彼は私の絵画が制作プロセスや風景との関係性、文化的な文脈といった点からも日本の方の心に響くと確信していたようです。こちらで展示している大きな絵画群は早春もしくは冬の風景がテーマです。

CADANではより小さい絵画のほか、陶芸を用いた立体作品もあり、2ヶ所を併せて多角的に創作を見ていただける構成になっています。

「KATHLEEN JACOBS by Fergus McCaffrey Tokyo」(CADAN有楽町)会場風景 提供:ファーガス・マカフリー 東京 写真:丸尾隆一

「KATHLEEN JACOBS by Fergus McCaffrey Tokyo」(CADAN有楽町)会場風景 提供:ファーガス・マカフリー 東京 写真:丸尾隆一
「KATHLEEN JACOBS by Fergus McCaffrey Tokyo」(CADAN有楽町)会場風景 提供:ファーガス・マカフリー 東京 写真:丸尾隆一

──1980年代後半からニューヨークをはじめアメリカ国内外で作品発表を重ねてきました。作品は欧米でどのように受け止められているのですか。

非常に静かで永遠に続くような空間性を感じるので一緒に暮らしたいとよく言われます。中国明代の山水画を連想させると評されることもありますが、アジア的な作品としてでなく、普遍的な美しさや面白さに共感してもらえているのだと思います。アメリカだけでなくフランスやオーストリアにも私の作品を理解し収集しているコレクターが数多くいて、励みになっています。

──ジェイコブスさんは自然豊かなアメリカ・コロラド州に生まれ育ち、留学したイタリアのミラノでグラフィックデザインを学びました。のちに1984~88年に北京と香港に滞在したと聞いています。中国での経験はどのようなものでしたか。

義父だった黄永玉さんは油彩も手がけましたが、水墨による中国の伝統描法の名手で、北京で同居した私に描き方や書道を教えてくれました。当時の中国は物資が乏しく、紙や墨がなかなか入手できなくて、油彩用キャンバスはほとんどありませんでした。そうしたなかで黄さんはわずかな画材を持って出かけ、戸外であっと言う間に見事な風景画を描きあげるのです。素晴らしい技量にすっかり魅了されました。元々私はアートを学びたかったのですが、将来の生計を心配した実父に諭されて美術学校への進学を諦め、グラフィックデザインを専攻したのです。黄さんと出会ったことで、私もアーティストの道を歩もうと心に決め、アメリカに帰国してからも創作が私の人生の中心になりました。

日々絵を描き、書をたしなむ黄さんと一緒に暮らし、学んだ経験は人生で最も刺激的な出来事した。彼は包容力がある愉快な人柄で、ピカソのように多才でした。つまり絵画だけでなく、陶芸や石彫、ブロンズ彫刻、染織など多彩な素材・技法に通じ作品を制作していたのです。教授を務めた北京の中央美術学院では木版画を教えていました。「なんにでも挑戦しよう」「表現には様々な方法や技法がある」と言い、あらゆる素材を試すように私を勇気づけてくれました。彼自身は伝統技法の巨匠ですが、新たな可能性や表現に対しつねにオープンなのです。アメリカに帰国後、モリノウエさんから木版画を学んだのも黄さんの影響です。黄さんは今年98歳になり、いまも交流が続いています。

──書も学んだのですか。

そうです。決して上手とはいえませんが、体全体を使い筆を動かすことで、身体の体幹や手腕の動かし方が鍛えられました。あらゆるアーティストにとって、書道は極めて有効なトレーニング方法だと思います。中国語も学び、専門家から古詩を使って漢字の読み書きを教わりました。現在も書道は続けており、「石門頌」という古代に刻まれた磨崖碑の拓本などを手本にしています。書の練習は、アートの制作に取りかかる前のウォーミングアップという感じです。

──中国での経験についてもう少しうかがわせてください。ほかに影響を受けた美術作品や思想、文学はありますか。

黄さんが収集した古い中国絵画や骨董品と日常的に親しむことができ、毎週末には故宮博物院に出かけ展示されている美術品をひたすら見ました。明・清代の山水画の、どこまでも広がっていくような空間表現に非常に感銘を受けました。そうした古典絵画に見られる余白の多さ、水平線や中心性の不在、遠くまで見通すような俯瞰的視点は私の絵画作品に影響を与えていると思います。俯瞰的視点は、私は飛行士免許を持っていて空をよく飛んでいるので、その影響があるかもしれません。

思想的には、価値観の最上位に「道」を置く道教と始祖の老子の教えに感銘を受けました。古典文学は『水滸伝』『三国志』『紅楼夢』が好きですね。『水滸伝』は戦い、『三国志』は戦略、『紅楼夢』は家族の物語で、どれも読むたびに遥かな昔に自分が生きている心地がします。黄さんの親族には京劇の愛好家がいて、よく一緒に連れて行ってくれ、演目を通じて伝統的な文化や文学をより理解できるようになりました。黄さんの周囲には音楽家や作家、書家といった文化人が多く、そうした方からも様々なことを学びました。

キャスリーン・ジェイコブス KUMBA 2020 キャンバスに油彩 76.2×76.2cm

森での制作

──絵画制作では、表面の凹凸模様を上から絵具で擦り取るフロッタージュ技法を使っています。生きた樹木をフロッタージュするアイデアはどこからきたのですか。

中国で知った拓本と木版画がアイデアの源泉になりました。1988年にアメリカに帰国して故郷のコロラドで制作活動を始め、当初はドローイングや、何度も班を重ねて木版画で樹木を描いていました。続けるうち、木の姿をコピーするのではなく、直接木の表面を木版画の版とする案が浮かび、それが現在の手法につながっています。脳裏にあったのは黄さんが強調していた「実物を見る」大切さです。書を学ぶなら名跡のコピーだけでなく、オリジナルの石碑を見て、刻まれた文字の形を感じ理解するように努めなさいと繰り返し言われたのを思い出しました。

最初に作った木のフロッタージュ作品は約10cm四方の小さなものでした。次第に布のサイズが大きくなり、樹木に貼り付けておく期間も長くなっていきました。たとえば1988年にコロラドの森林公園で行ったインスタレーションは、10年間も貼ったままにしておきました。いま住んでいるマサチューセッツ州は、コロラドほど大気が乾燥していないので布の劣化が早く、3年が限界です。布は麻を使います。古代エジプトのミイラにも使われたように、麻布は丈夫な繊維で経年や風雪に強いからです。

キャスリーン・ジェイコブス 撮影:編集部

──制作プロセスについてもう少し詳しく教えていただけますか。

まず森に行って樹木を観察し、選んだ木の表面を小さな布片の上から擦って、どのような線や模様が得られるかを確認します。次に幹の周経を測り、寸法を合わせて裁断した麻布をぐるりと巻きつけて木に留め付けます。サイズが大きい時は2人がかりで作業を行いますが、布を均等に引っ張るのは力がいるので、何年も続けるうちに手首を痛めてしまいました。そうやって木に貼り付けた麻布に下地材のジェッソを薄く塗って乾かし、さらにアクリル絵具を塗り重ねます。数日かけて完全に乾燥すると、ようやく描く準備が整います。

フロッタージュは麻布を帯のように細長く切り、そこにペイントパレットで油絵具をのせ、その帯で上から下へと擦り、樹皮の模様を浮かび上がらせていきます。そのまま置いて風雨に晒し、画布の様子を見ながら時間をかけて色を少しずつ足します。再び油絵具を全体に塗り込むこともあれば、強調したい部分をオイルスティックで擦る時もあります。塗る回数は一概に言えません。繰り返し色を重ねて仕上がりを意識的にコントロールするときもあれば、絵具は薄めにして自然の風化作用に任せた作品もあります。屋外に置く時間が長くなるほど、絵具を浸み込ませた画布は複雑な変化が生じます。絵具が酸化して緑青のような斑点が出ることもあり、それも作品の重要な要素です。

──どのような樹木を使いますか。

種類は本当に様々です。サクラ、クルミ、カシ、ポプラ、カエデ、マツ……。ギャラリーの近くではたくさんのイチョウも見ました。イチョウでも制作してみたいです。最初のフロッタージュ作品は、コロラドに多いアスペン(北米産ポプラ)の木を使いました。このときは幹に巻いた丸い形のまま硬化した布をどうすれば平面の絵画にできるのかわからず、しばらくのあいだは木の幹から型取りした陶器の立体作品や木版画を制作していました。1999年にマサチューセッツ州に引越し、周囲の樹木に触発されて再びフロッタージュ作品に取り組みました。いろいろと試して、最終的に風化して固まった布を水に浸して伸ばし、木枠に張るいまの方法にたどり着きました。

「キャスリーン・ジェイコブス展」(ファーガス・マカフリー 東京)会場風景 提供:ファーガス・マカフリー 東京 写真:丸尾隆一

──一度は離れ、また挑戦したのですね。

初めは単純に、版画のテンプレートとしてとても優れた模様だと感じたからです。しかし制作を続けるうちに、樹皮に表れる線や模様が自然界に見られる様々な形と非常に似通っていると気づき、ますます木のフロッタージュに魅了されていきました。空を流れる雲、海の波、川の流れ……。岩石や貝、珊瑚を作品化することもありますが、どれも表面を擦ると樹木と似た構造が見て取れ、「自然は繰り返す」を痛感します。この有機的類似は科学的に説明できると思いますが、実際に目の当たりにできるのは素晴らしいことです。樹木は私にとって自然の摂理を示す雛形のような存在です。
私が樹皮の模様に注目することができたのは、書道を通じかたちや線に対する観察眼が培われたからだと思います。木の表面から浮かび上がるさまざまな線は、本当に美しく、私たちの感情や想像力を掻き立ててくれます。

──ジェイコブスさんの絵画は、時間経過や場所性を作品に取り込んだコンセプチュアルな面もあると思います。気候の変化や虫、小動物による「介入」にはどう対応していますか。

自然がもたらす種々の変化は本当に楽しみです。制作途上の作品を毎日見て回りますが、いつも驚きや発見があります。困った出来事もたまに起きますが。たとえば、サクラの木に実ったサクランボが落ちて潰れ、画布が駄目になってしまったこともありました。大きな作品を作っていた際、幹の中に巣をつくったネズミが布をかじり、穴を開けてしまったこともありました。それを見たファーガスが「面白いよ! 繕ったらどう?」と助言してくれ、縫ってみたら良い作品になりました。どの程度まで風化を許容するかは作品によって異なります。これは受け入れるべき変容か、そうでないかをつねに自分に問い掛けています。

──絵画作品に仕上げる際は、画布の縦横を回転させるのですね。

そうすることで抽象的な線を引き出し、風景を見るような効果を得ることができるからです。私の作品は木々と自然環境との協働から生まれますが、樹木を表現したいわけではなく、あくまで抽象絵画です。大事なのは画中の線であり、模様であって、それ以上でも以下でもありません。5個の英大文字で表記した作品タイトルは、飛行機のパイロットが上空での位置確認に使う特殊なコードを参照しています。言葉として意味をなさない、たんなる文字の羅列です。
私が抽象にこだわるのは、それが限定されない想像を促し、時に自身の内面まで省みることができるからです。たとえばロバート・ライマンの作品は、一見白い画面でありながら幾つものレイヤーがあり、豊かな感情を喚起します。私の作品も、画面の線や色彩、テクスチャーを手がかりに自由に想像力を羽ばたかせてほしいと願っています。

──アメリカ、イタリア、中国、再びアメリカと居住国が変わり、その度に使用言語や文化が変わる経験を重ねてきました。アーティストとして得た教訓はありますか。

挑戦を恐れないこと。人間はパラメーター(変数)を持っていて、どんな境界でも超えられると私は思っているのです。

「キャスリーン・ジェイコブス展」(ファーガス・マカフリー 東京)会場風景 提供:ファーガス・マカフリー 東京 写真:丸尾隆一


Kathleen Jacobs

キャスリーン・ジェイコブス 1958年アメリカ・コロラド州生まれ。1980年にイタリアに渡り、ミラノデザイン工科学校でグラフィックデザインを専攻する。同地で知り合った中国人男性と結婚し84年から4年間、北京と香港に滞在。88年アメリカに帰国しコロラドを拠点に作家活動を開始。木版画や陶芸、蜜蝋画など多様な手法を試み、木版画制作に触発されて樹木と直接かかわるフロッタージュ作品を始める。99年にマサチューセッツ州に転居。アメリカ国内外のギャラリーや美術館で作品を発表し、野外インスタレーションや立体作品も手がけている。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。