
リンダー・スターリング 撮影:須田マリザ
近年、フェミニスト・アートの先駆者としてますます大きな脚光を浴びているリンダー・スターリング。1970年代後半から80年代前半のイギリスで起こった文化現象、パンクおよびポストパンクの重要人物だ。マンチェスターのパンク・バンド、バズコックス(Buzzcocks)がいちはやく自主レーベルを立ち上げてリリースした『オーガズム・アディクト』(Orgasm Addict)のジャケットデザインを担当し、自らもバンド・ルーダス(Ludas)を結成して鋭い表現活動を展開。1991年にはモリッシーのツアーに同行し、フォトグラファーとして来日している。
今年、京都と東京を巡回中の展覧会「LINDER: GODDESS OF THE MIND」では、ヴィジュアル・アーティストとしての彼女が初めて本格的に日本に紹介された。4月から5月にかけて行われた「KYOTOGRAPHIE 2026」に続き、8月16日まで東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催されている本展は、写真やフォトモンタージュの代表作に加えて新作も展示され、半世紀におよぶ創作の軌跡をたどる内容となっている。パンクの衝撃から今日のAIやSNS環境まで、つねに同時代の文化とともに歩んできた彼女の視点に触れてみよう。
*本展のレポート記事はこちら
──昨年、ロンドンで開催された回顧展のタイトルは「Danger Came Smiling(危険はほほえみとともに)」でしたが、今回は「Goddess of the Mind(心の女神)」と題されていますね。
インドの女神ラクシュミーは108の名前を持っているとも言われていて、「心の女神」はそのひとつなんです。長年フォトモンタージュのシリーズにラクシュミーの名前をつけてきたのですが、キュレーターと相談するうちに、これがすごく「いま」に感じられて。というのも、いま、私たちの心は色々なことでいっぱいになっています。現在、大勢の人々が不安のなかを漂っている……それでみんな瞑想を試してみたりするわけですが、自分自身が自分の精神の神や女神になって心をコントロールする必要を感じます。だから、たぶんこれは心の女神になることへの招待なんです。

──いまから半世紀前の1976年、伝説的なセックス・ピストルズのマンチェスター公演(*1)でハワード・ディヴォート(バズコックス、マガジン)と知り合ったのをきっかけにパンク・シーンと関わるようになったそうですね。当時の状況やパンクが与えた影響について教えてください。
その日、道を走るバンの車体に「今晩コンサート開催」みたいなポスターが貼ってあるのが目に入ってきたんです。そのときまでバズコックスもセックス・ピストルズもスローター・アンド・ザ・ドッグス(*2)も知らなかったけれど、「まあ暇だし行ってみるか」と足を運んでみました。レッサー・フリー・トレード・ホールという会場だったのですが、入口に自分と同じ年頃で髪を立てたパンクな男性がいて、チケットのもぎりをやっていたんですね。中に入って待っていたらその人がステージでパフォーマンスを始めた。それがセックス・ピストルズのジョニー・ロットンで、つまりそのときは顔も知らなかったんです。後になって「自分も行っていた」と言う人がたくさん出てきたけれど、実際、客席は半分程度しか埋まっていませんでした。
誰もちゃんとギターを弾けなかったし、ドラムも叩けなかった。でも、そのアマチュアリズムがひとつの姿勢になりました。素人だからって「やめておこう」とはならない。それが人を勇気づけたんです。振り返ってみてその夜に私が学んだいちばん重要な教訓は、ルールを知らないからといって諦めたり躊躇したりしてはだめだということ。それまで「自分はギターが弾けないからステージには上がれないよ」と言っていたのが、突然それはもう言い訳にならなくなった。ギターが弾けないからこそステージに上がらなくてはいけなくなったんです。

──とはいえ、その日の出演バンドに女性メンバーはいませんでした。そこで自ら率先してヴィジュアルでも音楽でも表現を始めたのは勇敢ですよね。
そうですね、私がリバプール出身というのもあるかもしれません。リバプールの女はどんなものにも怯まない、とくに男性には(笑)。それと同時に、私が当時友達だった男性の多くはクィアやゲイだったこともあって、心強い男性の味方に恵まれていたんですね。私の周辺、あるいはマンチェスターには実験的なところがあって、みんなジェンダーの固定観念や自身のセクシュアリティを疑ってみることをやっていた。伝統的なストレートの男性は周りにそんなにいなかったんです。