『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』『サントメール ある被告』を中心に矢田部吉彦さんとフランス映画×女性映画について語る。【連載】#MeToo以降の女性映画(9)

東京国際映画祭のプログラムディレクターを長らく務めた矢田部吉彦氏を招き、フランス映画、または女性映画について語り合った対談をお届け。

左:『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』 右:『サントメール ある被告』

シリーズ「#MeToo以降の女性映画」は、「#MeToo」のハッシュタグとともに自身の性暴力被害を告発する人々が可視化され、この運動が時代を揺さぶる大きなうねりとなったいま、どのような映画が生み出され、それらをどのように語ることができるのかを考える連載企画。

「#MeToo」運動が一躍世界に広まったきっかけは、2017年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙がハリウッドでもっとも影響力のあるプロデューサーのひとり、ハーヴェイ・ワインスタインによる様々な女性たちへの性暴力とセクシュアル・ハラスメント疑惑を報道したことだった。以降、映画界の長年にわたるジェンダー不平等は様々なかたちで問題視されることとなり、こうした問題を意識的に取り上げる作家・作品も増えている。

第9回となる今回は、東京国際映画祭のプログラムディレクターを長らく務めた矢田部吉彦氏を招き、フランス映画、または女性映画について語り合った対談をお届けする。『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』(2022、オリヴィエ・ダアン)、『サントメール ある被告』(2022、アリス・ディオップ)などフランス映画の最新作のみならず、パワハラで主演俳優たちに告発された『アデル、ブルーは熱い色』(2013、アブデラティフ・ケシシュ)から女性映画の定義、フランス映画のホモソーシャル性、セリーヌ・シアマとインター・セクショナリティまで話題は多岐にわたった。

『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』 © 2020 – MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA

『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』:リプロとホロコースト

夏目 『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』は、フランスで1974年まで人工妊娠中絶が禁止だった──それも驚きなんですが──、それをその名を冠した「ヴェイユ法」で食い止めた女性の政治家、シモーヌ・ヴェイユの伝記映画です。リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)をテーマとして扱うリプロ映画としては、『主婦マリーがしたこと』(1988、クロード・シャブロル)のように堕胎を手伝う側、『あのこと』(2022、オドレイ・ディワン、レビューはこちら)のように実際に堕胎する側、そして女性たちの苦しみを止めるために人工妊娠中絶の合法化に向けて闘った女性政治家を主役に据えた作品、とこれでひと回りした感があります。非常にタイムリーな映画ですね。

フランスで大ヒットしたそうですが、矢田部さんはパリでご覧になったそうですね。

矢田部 はい。みんな驚き、感激していましたね。

夏目 でもこの映画の印象としては、ホロコーストに関わる描写のほうが大きいですよね。

矢田部 確かに。あの映画が面白いのは、「ヴェイユ法」成立は彼女の政治家としてのキャリアのなかではいちばん大きいのかもしれないけど、それを冒頭10分でバーンと見せる。いきなりクライマックスから始まって、そこから徐々に彼女の過去に遡っていくという構成になっていることですね。

『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』 © 2020 – MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA

夏目 そうですね。私がこの作品の中でいちばんいいなと思ったのは、ホロコーストを生き延びたサバイバーであることが、彼女があそこまで女性や犯罪者といった、虐げられがちな人々の権利を守ることに邁進する原動力であることを、その構成によってはっきり見せていることです。

ホロコーストの映画は本当に毎月公開されて、食傷気味なところがありますが、男性的になりがちなテーマを完全に「女性映画」として作っているのも意志を感じました。

矢田部 ホロコーストを生き延びた人々が、レジスタンスの人々からも疎まれていた、「無力な人々」というレッテルを貼られてなき者にされているということを彼女が訴えるシーンがありました。そこはやっぱり驚いたし、この映画でそういった状況を知った人も少なからずいるんじゃないかと思います。

フランスでは、コロナ禍で映画館に人が戻ってこないというのは日本以上に深刻で、この作品がフランスの興行を活気づけたというのは、ちょっと象徴的だなぁと思います。

『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』 © 2020 – MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA
『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』 © 2020 – MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA

『サントメール ある被告』:移民と女性映画

夏目 矢田部さんはほかにもおすすめのフランス発の女性映画があるんですよね。

矢田部 はい。アリス・ディオップ監督の『サントメール ある被告』です。主題、手法ともに画期的な、重要な映画だと思います。

夏目 この映画は、生後15か月の自分の娘を海辺に置き去りにしたのが、アフリカ系の移民の女性だったということが大きいですよね。

矢田部 そうですね。女性映画はフェミニズムの問題が大きいと思いますが、この映画は人種差別の問題にも斬り込んでいて、差別構造が複層的になっている。監督自身もアフリカ系の女性監督です。

また、演出の面白さもほかの映画では見られないものだと思います。ドキュメンタリー的だというと陳腐だけれども、フレデリック・ワイズマンの映画の一部を切り取ったといっても信じてしまうくらい、裁判の様子が淡々と再現されている。じつはそんなに淡々としているわけではないけれども、淡々と見えるところが凄いんじゃないかと。

実際の裁判の台詞をそのまま採用しているのも面白い点だと思うし、それを再現できる役者が、驚異的に巧いですね。

矢田部吉彦

夏目 いまワイズマンの名前が出たように、私は手法的には、さほど女性映画として斬新なものは感じなかったです。ただ考えが広がって、フランス映画は女性映画は決して先進国ではないが、移民の表象に関しては進んでいるなという気がしました。『サントメール』を見終わって、つい手を伸ばしてしまったのが、矢田部さんにもインタビューで参加してもらい、2015年に編集した『国境を超える現代ヨーロッパ映画 移民・辺境・マイノリティ』(野崎歓・渋谷哲也・夏目深雪・金子遊編、河出書房新社刊)です。

この本は、国ごとの移民や辺境をテーマにした映画を扱っています。イギリスやフランスだと辺境というよりはほぼ移民なんですが、頁数にかなり違いがあります。イギリスは11頁なのにフランスは73頁もあるんですね。で、頂点に君臨している監督がクレール・ドゥニジャック・オディアール、そしてアブデラティフ・ケシシュです。

『国境を超える現代ヨーロッパ映画 移民・辺境・マイノリティ』

『アデル、ブルーは熱い色』:パワハラと移民問題

夏目 ケシシュはレズビアンのカップルを赤裸々な性描写とともに描いた『アデル、ブルーは熱い色』(2014)でカンヌのパルム・ドールを獲りましたが、その直後から主演女優のふたり(アデル・エグザルコブロスとレア・セドゥ)にその苛烈な撮影方法について批判されます。当時の記事を見ると、「10分間のセックスシーンに丸々10日間かかった」「撮影現場は「ひどいもの」で、この映画を公開すべきではない」などという女優側の言い分も紹介していますが、同時に監督の「神聖な職業に対する敬意を欠いている」というコメントや、カンヌのディレクターのティエリー・フレモーの「『シャイニング』の撮影中にも、キューブリックとジャック・ニコルソンとの間にいざこざはあった」などという擁護的なコメントを掲載しています(*1)。

野崎歓さんが執筆したケシシュの作家論には、日本初のケシシュ上映作品であり、矢田部さんが東京国際映画祭で上映した『クスクス粒の秘密』(2007)からして、「主人公の義理の娘が主人公を助けるために文字どおり一肌脱いで繰り広げるベリーダンスシーン」「白人のお歴々の視線を一身に集めて恍惚として踊り続ける」「アラブ的エロティシズムの夢を大きく開花させようとするかのようだ」など、いまの目で読み直すとちょっと引っ掛かるシーン描写が出てきますね。確か少しお腹が出ているような、生々しい肢体の娘さんでしたよね。

『クスクス粒』の次の作品『黒いヴィーナス』(2010)は、19世紀半ばにロンドンとパリで見世物になっていた、かつて「ホッテントット」と呼ばれた南アフリカの民族の女性が辿る運命を描いた作品ということです。私は未見ですが、出稼ぎに来たのに徹底的に搾取され、娼婦となり、最後は医学部の人体標本になるということで、さすがに野崎さんも批判しています。

4人の共編書とはいえ編集統括や実務は自分なので、#MeToo以降いかに自分を含めた人々の見る目が変わったかというのを思い知らされました。また、ケシシュ自身もチュニジア出身の移民であり、俳優としても活躍していました。そういった生い立ちと、フェミニズム的な視点とを両立させるのがこの頃はまだ難しかったのかなという気もしました。

夏目深雪

矢田部 ケシシュは僕はたいへん好きな作家でした。『アデル』以降の作品は評価していませんが、それ以前の作品の評価は変わりません。

『アデル』に関しても、あそこまで描き切ったことは、やっぱり評価してしまいましたよね。当時は過激な描写を貫く姿勢が評価される傾向があり、自分もそれに乗っていたことは否定できません。いまは完全に見方が変わりました。僕を含めて見る方の見方は変わりましたね。

夏目 私は『アデル』は見た当時から性描写過多で好きではありませんでした。

『サントメール』の話に戻すと、ケシシュの映画と比較すれば、女性問題と移民問題が結び付いており、それ自体がすでに斬新だし奇跡的だという見方ももちろんできるわけです。

女性映画の定義

夏目 「女性映画」ってなんですかとよく聞かれたりするんですが、私はフェミニズムの研究者や論客が使う「女性映画」の定義に影響されてきました。フェミニズム映画理論が生まれたのはフェミニズム運動が社会的に大きな影響力を持つようになった1970年代で、イギリスでその名も『女性と映画』という学術誌やアメリカで女性映画の映画祭が誕生しました。

1970年代半ばからイギリスの研究者を中心に、それまでの男性中心主義に対抗するような新しい枠組みが急速に発展し、フェミニズム映画研究の枠を超えて世界の映画研究に決定的な影響を及ぼしたのがローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語研究」(1975)ですね。マルヴィはこの論文でハリウッド映画、とくにヒッチコックの映画を題材に、いかに主流の物語映画が「男性」が「女性」を覗き見る「視覚的快楽」を提供する構造それ自体によって、観客の間に伝統的な性区分に基づく家父長制を再生産しているかを論証します。

私が斬新さを「女性映画」のひとつの基準にするのは、もちろんすでにある映画話法が男性中心主義であるという認識からです。70年代からフェミニズム映画理論は盛んになり、女性監督の比率は増えたものの、まだまだ人口の男女比と同じ半々というわけではまったくない。『アデル』の性描写に違和感を持ったのも、それが「男性のまなざし」でしかないのではないかということからです。

連載の4回目で選んだ「女性映画の傑作10本」『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975、シャンタル・アケルマン)や『冬の旅』(1985、アニエス・ヴァルダ)は、女性の限界──たとえば、ヒロインが1日の大半を取るに足らない(と世間的には取られている)家事に費やす主婦であること、また野宿にはレイプの危険がある若い女性であること──を逆手に取って戦略的に利用し、それまで存在しなかったような映画になっていると思います。

先月、台北映画祭に行って台湾の女性監督、李怡芳(リー・イーファン)の初長編作品『小藍』(2022)という作品を見ました。真面目な女子学生が主人公で、クラスの人気者の男子に口説かれて関係を持つんですが、彼はほかの女子とも関係があることが発覚します。そしてLINEで行為中の画像をクラスメイトにバラまかれてしまいます。ヤケになってデートアプリで見知らぬ大人の男性と逢い、関係を持つ。化粧も濃くなって逢瀬を重ねます。ラストは彼女の自慰のシーンで終わる。

いくらでもセンセーショナルに描くことはできると思いますが、柔らかい描き方で、若い女性の生態をストレートに描いていてとてもいいなぁと思いました。女性の監督が女性の性的欲望をそのまま描いた作品って、いままで観たことなかったかもとすら思いました。 SNSやデートアプリなど現代的なテーマを取り上げながら、恋愛中心主義に落ち着かないラストも新しい。

フランス映画は、斬新な女性映画があまり見当たらないというのが率直な感想です。アケルマンやヴァルダなど隣の国のベルギーは女性映画の巨匠を輩出しているのに。

フランス映画界のホモソーシャル性

夏目 思ったんですけど、フランスって映画におけるフェミニスト論客がいないですよね。というか、女性の映画批評家、誰か知ってます? ポーリン・ケイルクラスの人。カイエ・ドゥ・シネマの同人で女性、誰かいましたっけ。研究者の方も、一昨年出版された『映画論の冒険者たち』(堀潤之、木原圭翔編、東京大学出版会)を見ても、そもそも女性の論客がローラ・マルヴィとリンダ・ウィリアムズだけなんですが、フランス人は輪をかけて男性だけです。フランス人自体が少ないわけではないです。アンドレ・バザン、エリック・ロメール、セルジュ・ダネー、クリスチャン・メッツ、レーモン・べルール、ジル・ドゥルーズ、ジャック・ランシエールと、21人中7人です。

なんか日本以上にホモソーシャルな気がするんですけど……。それも製作される作品自体や、どんな作品が受賞するかに影響を与えているんじゃないかと思います。フェミニスト論客は圧倒的にアメリカとイギリスが多いですね。イギリスが発祥の地で、その後もイギリスとアメリカを中心に発展したということからも、当然と言えば当然なんですが。

矢田部 2021年のカンヌ映画祭で、女性監督ジュリア・デュクルノーの『TITANE/チタン』(2021)がパルム・ドールを獲りました。でも、あの映画の革新性を褒めていた人と同じくらい、全然認めない人も多くて、賛否両論だったんですね。あの年のカンヌのフェイバリットは『ドライブ・マイ・カー』(2021、濱口竜介)で、星取りはそっちのほうが平均点が高かったんです。それは、ここらでカンヌも女性監督にパルム・ドールを与えないとヤバイのではというのもあったんじゃないかと思うんです。

じつは女性監督がパルム・ドールを獲るのは、ジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1993)以来なので、29年ぶりなんですよ! しかもパルム・ドールは1939年から続く歴史があるんだけど、当時女性監督は『ピアノ・レッスン』と『TITAN/チタン』の2本だけ!(2023年にはジュスティーヌ・トリエが女性として史上3人目の受賞)

夏目 えーっ! それはホモソーシャル決定ですね。

矢田部 でもカンヌも変化しつつあると思います。今年は女性監督の作品が目に見えて増えてるし、逆に言うと、「これは普段のカンヌだったら入ってないな、でも中国の新人女性監督だから入ったんだろうな」とよこしまな目で見てしまう作品もあったんです。時代の要請ということですよね。

夏目 事前打ち合わせで2人とも、復刊された田島陽子さんの『ヒロインは、なぜ殺されるのか』(2023、KADOKAWA)を読んでいることが分かり、「矢田部さんさすが!」となったんですけど、もとは1991年に出版されたということを考えると、本当に凄い本ですね。

『ヒロインは、なぜ殺されるのか』

フランスと言えば恋愛映画という時代が結構長く続きましたが、『突然炎のごとく』(1961、フランソワ・トリュフォー)と『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986、ジャン=ジャック・ベネックス)という、フランスの恋愛映画好きにとっては金字塔のような作品をぶった斬ってるんですよね。『突然炎のごとく』では、「ファム・ファタル(運命の女)」という類型に光を当て、結局のところは「男が冒険心や征服感を味わうためだけ、消費するための型」と斬っています。最近、E・アン・カプランの『フィルム・ノワールの女たち』(1988、田畑書店)を読み直したんですけど、英米のフェミニスト論客たちもこんなに辛辣じゃない(笑)。

『ベティ・ブルー』は、その後もクレール・ドゥニの映画などで活躍したベアトリス・ダルのデビュー作です。鮮烈なデビューで、日本でもファンが多いですね。こちらは、ベティが結局破滅してしまった理由を愛のせいではなく、「誇りを持てる仕事がなかったから」と理由づけしています。

恋愛至上主義が「女優は美しくなければ」というルッキズムにつながり──実際フランスの女優さんは美しい人が多いですが──それが「女性は添え物」感につながり、ひいてはフェミニズム的な遅れにつながっているのは否めないかなと。

性愛至上主義もあるのかな。『アデル、ブルーは強い色』は両方が組み合わさった悪い例のような気がします。暑苦しいし、女優さんたちはいい迷惑ですよね。

矢田部 フランス映画は確かに性描写多いですよね。いらないんじゃないかと思うことが多い。しかも、インティマシー・コーディネーター絶対いないよなと思ってしまう。

夏目 ただ、最近は少し変化の兆しが見えますかね。ジャック・オディアールの新作『パリ13区』(2022)はセックスが前面に出てるんだけど、暑苦しくない映画でした。捻った感じで現代的で、面白かったです。

矢田部 あれも台湾出身の女性と黒人男性の恋愛話で、移民の映画でしたね。やっぱり移民をどう描くのかが現代のフランス映画では優先度や喫緊性が高いという気がします。

夏目 ケシシュが野放しになってしまったのは、自身が移民で、周りが注意しづらかったというのもあるのかな?

矢田部 あとは粘りの演出がよしとされていましたからね。変化の兆しもありつつ、要は社会的に二分されているのかもしれない。性暴力を行ったと告発され、アメリカの映画芸術科学アカデミーから追放されたロマン・ポランスキーの新作『オフィサー・アンド・スパイ』(2019)はドレフュス事件を扱っているんだけど、フランスで公開されるときに反対運動が起こりました。テレビで放映するのにすごく時間がかかって、それに関してはキャンセルカルチャーを疑問視する声がわりと多くSNSでは見られたんです。

俳優のアデル・エネルはポランスキーがセザール賞で最優秀監督賞を受賞したことに怒って、退出したんです。で、差別構造を放置しているとして映画業界を引退したんですね。

セリーヌ・シアマとインターセクショナリティ

編集部 セリーヌ・シアマについてはどう思われますか? アデル・エネルが主演を務めた『燃ゆる女の肖像』(2019)や『秘密の森の、その向こう』(2021)などで近年もっとも話題を集めるフランスの女性監督・脚本家かと思いますが。

『燃ゆる女の肖像』 ©︎ Lilies Films.

矢田部 『燃ゆる女の肖像』は女性映画の大傑作でしたよね。

夏目 私はシアマは革新性という点では、やはりLGBTQ映画としてのほうが強いかなという気がします。もろちん『燃ゆる女の肖像』のように女性映画と兼ねている映画もあるんだけど。

まぁでもシアマが凄いのは、新作は『秘密の森の、その向こう』は母娘の絆という全然違うことをやっていて、常に新しい題材、切り口で、似た映画がないところでしょうか。私は『トムボーイ』(2011)が好きでしたね。

さきほどの性愛至上主義の話でいうと、LQBTQ映画もそれに当てはまると思います。フランス映画に限らず、セックスがあるのが型になっている。差別の問題があるから、余計に性描写が強いカタルシスになるところもあるのかもしれない。シアマはそれと闘っている感じがしますね。『燃ゆる女の肖像』も熱愛の話だけれども、性描写がほぼない。

矢田部 性愛主義をどう乗り越えるかというのがいまの課題という気はしますよね。少しズレますが、ハラスメントを告発する作品においてその被害の現場や加害者を映さずに表現する演出が多く見られるようになってきた。性愛自体は良いことですが、セックスを見せずに性愛は語れるのかという点に興味はありますし、『燃ゆる女の肖像』はその好例でしたね。

夏目 先ほど触れた『パリ13区』はシアマが共同脚本で参加していましたね。性描写が多かったけど、現代的でした。

矢田部 あの作品にはノラという女性が自分に似たセックスワーカーの女性とだんだん仲良くなっていくパートがあるでしょ。あの友情の築き方は、優れた女性映画となっているなと思ったんですよね。男性の監督だけど、女性映画の側面もあったのかなと思います。

夏目 やはりその辺りの女性の細かい心理描写のためにシアマとレア・ミシウスを脚本に起用したようです。

編集部 先ほどシアマの革新性はどちらかというとLGBTQ映画におけるものではという話がありましたが、第三波・第四波フェミニズムにおいてインターセクショナリティという概念=分析枠組が欠かせないものとなっていることをふまえると、現代において「女性映画」という枠組みやジャンルが有効だとするならば、それは女性というジェンダーのみならず、人種、セクシュアリティ、階級、国籍、ディスアビリティといった様々なカテゴリーのマイノリティ性も交差的に描かれるのは必然なのではないでしょうか。

私は未見ですが『サントメール』もそうなのかなと。『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』ではシモーヌがユダヤ人女性でありなおかつ(レジスタンスではなく)生還者であるという何重ものマイノリティ性が重要なものとして描かれていたと思います。

#MeToo運動とBLMの盛り上がりには時期的な重なりもありますし、現在ではかつての意味で“純粋”な「女性映画」みたいなものはもはや成立しづらく、それは同時にクィア映画であり、ブラックの映画、移民の映画であり、障害や病気を持つ人の映画であり ……というインターセクショナリティの視点を備えた女性映画が「#MeToo以降の女性映画」の中心となっていくのではないかと思いました。おふたりはどのように思われますか。

夏目 もはや『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』や『冬の旅』のような真に純粋で斬新な「女性映画」は望めないということですかね。それは確かにあるかもしれません。2作とも、白人女性であることが前提となっています。

移民や人種、またはクィアであることによって、「女性映画」としてのテーマが弱まってしまう映画ではなく、2つの属性すらも乗り越える「魂」や、現実の状況に影響を与えるような画期性があるような映画を応援していきたいですね。「女性映画の傑作10本」で挙げた『RAW 少女のめざめ』(2016、ジュリア・デュクルノー)や『ソウルに帰る』(2022、ダヴィ・シュー)、連載でも取り上げた『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』などが、私にとってはそんな映画です。

矢田部 描かれる属性が増えることによって「女性映画」としての「純度」が落ちるというよりは、むしろ深化するというようにとらえています。そこはまさに『サントメール』が好例で、描かれる母と娘の物語は女性であることの生理的な実感を伴っていて、絶対に男性の監督には書けない境地に達していますし、監督、共同脚本、キャメラ、主要キャストなど、すべてが女性による作品です。

子を産む存在である女性の政治性を問う内容ではない点で「純度」は落ちるのかもしれませんが、そこにアフリカ系であることへの偏見が加わり、現実社会とのリアルな接点が志向されています。今回の暴動(フランスの警官による黒人青年の射殺に端を発する大規模な抗議運動)でも露呈したようにフランスの人種問題は根が深く、アフリカ系女性は二重のマイノリティ性を背負わされている。もはや切り離して語ることは出来ず、『サントメール』はエポックな作品であると思います。

*1──AFP BBNews https://www.afpbb.com/articles/-/3001040

矢田部吉彦
やたべ・よしひこ 映画祭プログラマー、映画プロデューサー。1966年フランス生まれ。映画の配給・宣伝を経て、ドキュメンタリー映画のプロデュースやフランス映画祭の業務に関わる。2002年から東京国際映画祭のスタッフになり、04年より日本映画部門のプログラミング・ディレクター、07年よりコンペティション部門プログラミング・ディレクターを兼任し、20年まで作品選定を担当する。21年よりフリーランス。


『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』
7月28日より公開
監督・脚本:オリビエ・ダアン
出演:エルザ・ジルベルスタイン、レベッカ・マルデール、オリヴィエ・グルメ、エロディ・ブシェーズ ほか
2021年製作//フランス/140分

『サントメール ある被告』
7月14日よりBunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
監督:アリス・ディオップ
出演:カイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ、ロバート・カンタレラ ほか
2022年製作/フランス/123分

夏目深雪

夏目深雪

なつめ・みゆき 映画批評、編集業、多摩美術大学非常勤講師。主な著書に、『岩井俊二:『Love Letter』から『ラストレター』、そして『チィファの手紙』へ』(河出書房新社 、2020)、『新たなるインド映画の世界』(PICK UP PRESS、2021)、『韓国女性映画:わたしたちの物語』(河出書房新社、2022)など。