最終更新:2022年3月8日

クリエイティブコーダー・高尾俊介 × 母・高尾久代 親子対談。“おかんアート”の裏側にあるストーリー

クリエイティブコーダーとして活動する高尾俊介と、その母であり約40年にわたって自宅でキルト作品を制作し続けきた高尾久代。3月8日の国際女性デーにあわせてインタビューを行った(構成:菊地七海)

左から高尾久代のパッチワークキルト作品、右が高尾俊介のクリエイティブコーディング作品

女性たちが妻業・母親業をしながら、家庭内で身近な素材を使ってオリジナルの手芸作品を作り続ける。そうしてできた作品を「おかんアート」と呼ぶ動きがあり、「おかんアート」をテーマにした展覧会「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」は4月10日まで東京都渋谷公園通りギャラリーで行われている(レビュー)。

世の「おかん」たちが身のまわりにある素材を用いて作る手芸作品を指して使われることが多いが、一つひとつの作品はまったく違った個性を持ち、その手仕事から溢れ出る並ならぬ熱量には、感服するばかり。実際の制作活動には、きっと一括りにできない物語が隠されているはだ。

今回、「おかんアート」の裏側を探るべく話を聞いたのは、約40年にわたって趣味であるパッチワークキルト制作に打ち込んできた高尾久代。今年、メガギャラリーのハウザー&ワースではキルトをはじめとするテキスタイルをテーマとした展覧会「The New Bend」が行われ(〜4月3日)、ニューヨークのニュー・ミュージアムでは黒人女性アーティストの代表的存在であり、キルトを主たる表現手法とするフェイス・リンゴールドの回顧展「フェイス・リンゴールド:アメリカン・ピープル」(〜6月5日)が行われているなど、キルトは近年改めて注目を集める表現手法のひとつでもある。

高尾久代の息子は、プログラミングを応用したデジタル作品を毎日作り続けるという「デイリーコーディング」を提唱・実践する、クリエイティブコーダーの高尾俊介。NFTアートやデジタルアート界を席巻するクリエイターである俊介と久代による親子対談から、「おかんアート」の裏側にあるストーリー、その影響を探った。

熊本の自宅にて、高尾久代のキルト作品

あまり人と話さずにすむ、ストレス解消法

——今回の親子対談は、以前、俊介さんがTwitterで「ご自身のコーディングと、お母さまの久代さんが作るパッチワークキルトがつながっている気がする」とツイートされているのを見て、編集部がおふたりのお話を聞きたいと実現したものです。プログラミングでアート作品を作るクリエイティブコーディング、そして久代さんが家庭内で作ってきたパッチワークキルト、その2つの接続を知りたいのですが、俊介さんは家庭内でパッチワークキルトを手がける久代さんをどのように見ていましたか?

俊介:母がキルトをやっている姿を、小学生の頃からずっと見ていました。部屋の端っこで、布切れとアイロン台を置いてそこでずっとこつこつやっていた。その姿は記憶に残っていますが、実家にいるときはそれがどういうことなのかをあまり意識していませんでした。何をやってるのか、なんの意味があったのかはまったく想像していなくて、突き放したような言い方になるんですけど「好きで勝手にやっていること」みたいに僕は母の創作を見ていたような気がします。

——久代さんがパッチワークキルトを始めたのはいつ頃でしたか?

久代:始めたのは、いちばん下の子供(三男)が生まれてからだから、1985、86年あたりから。ずっと家庭にいたので、そのときできるストレス解消法のひとつが、幼い頃から好きだった編み物や、針仕事だったんですよね。当時、全国的に流行ってもいたんです、キルトっていうのが。でもずっと続けていたわけじゃなくて、仕事も始めたりしたので、その合間でやったりとか、逆に仕事が忙しすぎてできなかった時期もありました。

——ストレス解消以外に、制作に対するモチベーションってありましたか?

久代:なんて言うかな……私、言葉があんまり上手じゃなくて、人と会話するのが苦手なので、自分の手先を使った仕事をすることで安心できるんですよね。無言で手を動かすだけで、夜遅くまでやっても全然疲れない。本当にただストレス解消ですよ。自分の好きなことをやっているだけ。

——母の役割でも社会のなかの役割でもない自分に向き合う時間でもあったのかもしれないですね。

久代:料理とか作るのは全然苦にはならないし、子供が誕生日のときにはそれこそ赤飯を炊いたりとかしていたんですけど、それとは違う、何か自分が社会から取り残されたみたいなところがあるんですよね、主婦っていうのは。ずっと家にばっかりいると、やっぱりちょっと外に出てみたいなぁなんていう気持ちもあって。買い物をしたり、布集めをしているうちに、あまり人と話さなくてもいい、ひとりでコツコツやる生きがいを見つけたんですね。

高尾家の三兄弟

——身近に、同じようにキルトをやっている人はいましたか?

久代:いないんですよ。私は4人きょうだいの3番目なんですけれど、いちばん上の姉が本をお手本に何かを作ったりするのが得意で、例えば娘婿がいらなくなったワイシャツを生地にしてソファーカバーを作ったりとかしています。2番目の姉は和布の洋服をバーッと作れたり。だから姉たちに言わせると、こんな綺麗な布を小っちゃく切って使うのはもったいないって(笑)。いま、いちばん上の姉が熊本の震災の関係で私と一緒に住んでいますので、相談しながら、姉はミシン仕事を、私はキルトを作ったりしています。

——お姉様たちの制作は実用的なんですね。俊介さんが以前、久代さんの作品をSNSに載せていて、具象的な絵柄から抽象的なモチーフまで幅が広くて面白かったです。どういうところから着想を得ているんですか?

久代:基本的には自分の好きな色の生地を集めて組み合わせています。一枚一枚のピースはオリジナルというよりは、本を参考にしたり、たまに展覧会を見に行ったり……そんな感じで今までずっと続けていますね。キルトをやっている人っていうのは、つねに素材として使えるものがないか周りの環境に目がいくんですよね。

高尾久代のキルト作品

自分に自信を持つ方法

俊介:お母さんのキルトは、時期によって作るものが変化しているよね? 最初の頃はメルヘンというかファンシーというか、ピンクやお花、かわいい配色を主題にした作風だったような記憶があって。そこからここ10年ぐらいのキルトはちょっと違う。手で触ったときの質感や、表現したいものが技巧的に変わってきているように感じるんだけど。

久代:最初は本当に普通の主婦がやるような、布と布をくっつける「ピース集め」みたいなのが好きだったんだよね。だからなぜか、かわいくて綺麗な柄に興味があったんだけれど、やっぱりずっと続けているとそのうちにレベルが上がるっていうか、そんなこと言ったらいかんけども……。普通は短期間で進歩するんだろうけど、なにせほとんど教室に通わず自己流でやっているので、少しずつしか進まなかったのよ。

俊介:でもやっぱり変わってきていると思うな。最初は赤毛のアンのような古き良きアメリカのキルトみたいな感じだったじゃない。表現したいものが技巧的に変わってきているように感じるんだけど。

久代:パッチワークっていうのは、洋服にも使えない古い生地を集めてやったのが最初だからね。だけん、最初は本当に素人が素人考えでやる、みたいな感じよ。それでやっぱり孫(俊介さんのご子息、2歳)が生まれてからは、ABCがズラーっと並んでいる勉強になるやつとか、そういうのを作ってみたいなとかね、そがん感じで環境によって作るものも変わったのかもしれないね。

孫のために制作したという高尾久代のキルト作品。小文字のアルファベットが並ぶ
左から高尾久代、高尾俊介。久代が住む自宅と俊介の自宅をオンラインでつないで取材した

——たとえば、久代さんの後ろにある正方形をつなげたタペストリーを作る場合は制作にどのくらいの時間をかけるんですか?

久代:ひとつだけに集中するのではなくて、2つ3つを同時進行で作るんです。ひとつだとちょっと飽きちゃうんですよ。ベッドカバーは1年かかりました。ミシンは全然使わずに、全部手でやるので。でもやりはじめたら楽しいです。なんせ一枚一枚のピースを作るのが楽しいよね、同じ型紙でも色が全然違っていたら、模様の感覚が違うので。

俊介:型紙は、方眼紙みたいな硬い紙に、鉛筆で下書きをしてから切っているよね。それでひとつのブロックごとに型紙を用意して、それに合わせて布を切って縫い合わせていくみたいなプロセスだよね。

久代:そう。でもやっぱり好きな色とか似たような柄に偏ってきてしまうこともあるんです。姉たちにも、「なんか同じような柄を持っているね」って言われる。だからなるべく気をつけてほかの人の作品を参考にしてみたり、全然自分のイメージになかったものに挑戦してみたりします。でもそうすると今度は、いやぁ~ちょっと奇抜ね、とか言われたり。

高尾久代のキルト作品

——あえて自分の好みから外していくんですね。

久代:そうするとなんかね、自分に自信が持ててくるんですよ。長いこと生きていると、みんな自信がなくなってくるじゃないですか。だからせめて縫い物だけでも続けていれば、っていう気持ちでいままでやってきましたね。阿蘇の布屋さんとか行くと、そこの先生の作品なんかもう本当に、私たちじゃ出せないような色を使っていらっしゃるんですよ。それからキルト作家の斉藤謠子(ようこ)さんの作品は、自然の色を使ったなんとも言えない配色で好きです。私ももっと色々な勉強をしてきたら良かったなとも思います。

高尾久代のキルト作品

母からの影響

——最初、俊介さんは久代さんのパッチワークキルトを「好きで勝手にやっていること」と突き放して見ていた。そこから作り手としてのシンパシーのような気持ちへと変化したことは興味深いです

俊介:そもそも僕はデザインとかアートに関心を持ち始めたのが結構遅かったんです。大学に出るタイミングで熊本の実家を離れたんですけど、自分が作ることを通じて何かを表現したいと思うようになったのはそれ以降なんですよね。なのでそばにいるときは、母の創作活動について会話したりすることってほぼなかったと思います。いまだったらその豊かさや、男兄弟3人を育てながら創作することの尊さといった部分を共有して理解できるし、尊敬もするんですけれど、当時はまったくわかっていなかった。だから2021年の年末に実家に帰って、母の作品を発見したときに改めて驚きました。僕のプログラミングとすごく似ているというか、無意識のなかで自分に受け継がれていたというか。母の続けてきたそれを僕はキルトとは違うやり方でやっていたのかなと。すごく不思議な気持ちになります。

——逆に、久代さんは俊介さんの「Generativemasks」シリーズなどを見て、キルトとのつながりを感じますか?

久代:私も今回このインタビューを受けることになって、初めてちょっとつながりを感じたりもしたんですけれど、息子はね、私とは全然考えが違う子なんです、自分の道を突き進んでいるので(笑)。でも多少でも自分の影響を受けているって言われると嬉しいですね。

俊介:大学院でメディアアートを研究することになった時に、「研究がなんの役に立つんだ」とか「将来どうやって生きていくんだ」みたいなことを母と議論したことがあって。いまとなっては、それはまさに自分が母のキルトに対して感じていたことと同じことだった。当時は自分の選択に確固たる意味を見出していたけれど、いまはちょっとずつ母の考えにも近づいているというか、自分が何かを作ることをありのまま受け入れるみたいなところに落ち着いていっている気がします。

「Generativemasks」ウェブサイトより

——確かに久代さんがここまで継続されてきたことは、俊介さんが日々「デイリーコーディング」を続けていることと通じるようにも見えます。

俊介:本当に、僕が日々プログラミングを通して感じていることに近いと思う。外を歩いたり、身の回りを見渡したときに、これってプログラムだったらどう表現するんだろうとか、この質感ってどうやってコードで書けるかなとか、メディアを通して世界を見るというか、そういう視点がキルトの世界にもあるってことですよね。あとは母のキルティングについての説明も、僕が自分の作品について話す時の語り口とすごく似ている。そういう意味では、この数十年で、自分の創作についてお互いが話し合えるような感じに徐々になってきたんだなと思って。母の作品を見て「これ真似しよう」って結構素直に思えていることに改めて気づいて、そこでまた自分が変わった感じがしましたね。別にここを目指してやってきたわけではないんだけれど、どこか説明がつかなくてもやもやしていた部分があって、そこにうまくハマるような気がして。今後自分がやるべきことは何か、というところにまで考えが及ぶようになりました。

——今後、おふたりがコラボレーションする予定はないんですか?

俊介:いや~、僕はやってもいいかなと思うんですけど、どっちが舵を取るかで結構揉めそう(笑)。

久代:私は全然そんなレベルじゃないです(笑)。私のやってることは本当に、主婦だったらやれることなんですよ。でも今回は本当に、息子と距離が近くなったような気がしました。ありがとうございます。

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野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

Tokyo Art Beat / Editor in Chief。Twitter:@nojichiaki

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