絵画につかまれた人。長谷川繁(1963-)は絵画に憑かれ、絵画を描くために
生きてきたといっていい。それくらい頭の中は絵のことでいっぱいである。
愛知県立芸術大学大学院修了後、1989 年にドイツに渡りデュッセルドルフ芸術アカデミーでヤン・ディベッツに学んだ長谷川は、日本人である自分が、西洋由来の「絵画」を描くことの困難に直面し、千本ノックのように絵を描き続ける日々を送ります。石ころを積んだような、あるいは石ころが崩れ落ちたような暗さを湛えたこの時期の絵画は、あたかも賽の河原、シジュフォスの神話がそのまま形をとったようにも見えるでしょう。こうして、これまでの絵を「捨てる」ための、自己の弔いともいうべき制作の日々を過ごしたのち、1992 年にオランダに移ると、アムステルダムにあるデ・アトリエーズでのレジデンスを経て 96 年まで同地に滞在するなかで、ようやく自分の絵をつかみ始めます。勢いのある筆で、3 メートルを超すような大画面に描き出されたのは、生姜のようにも、障壁画の松の巨木のようにも見える形で、その異様さと滑稽さは、現在に続く長谷川の絵の始まりをしるすものといえます。
長谷川の作品に繰り返し登場するナスやキュウリ、バナナや魚といったモチーフは、伝統的な静物画を換骨奪胎したようであり、ドレープや椅子の脚といった西洋由来のモチーフも、意味を剥奪されたただの形として画面を自在に組み立てるパーツとなっています。こうして限られた要素だけを用いながら常に違う絵を描こうという長谷川の大胆な試みは、ときに行き詰まり、2013 年には発表を休止するに至ります。しかしその長い潜伏期にも制作は続けられ、2019 年に個展を再開すると、以後、長谷川は精力的に発表を続けてきました。わずかな絵具を伸びやかに使い、極限まで切り詰めて描き出された最近作は、あたかも内側から発光しているようで、初期からの道のりを顧みれば驚くほど変化していることに気づかされます。
本展では、長谷川の長年の制作を新旧織り交ぜながら紹介し、そこにある徹底した意志と軽やかな展開とを明らかにします。また古今東西、多くの作品を見ることに徹してきた長谷川の眼と、一方で、高尚な芸術とは別に、幼少期からの生活のなかで育まれた独自の感受性にも着目し、当館コレクションと長谷川の作品および彼の雑多な蒐集品とで構成した一室を設け、その世界を体験していただきます。
長谷川にとって美術館での初の大規模個展となる本展をぜひ、ご覧ください。
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