公開日:2021年9月9日

鷹野隆大の多様な面に触れる:国立国際美術館「鷹野隆大|毎日写真1999-2021」展レポート

国内の美術館での初の大規模個展(文:原久子)

鷹野隆大が写真家として活動しはじめたのは30歳を過ぎた頃で、比較的スロースターターと言える。1995年の初個展「ポルノグラフィー」以降、身体、セクシャリティ、ジェンダーが表象する作品を立て続けに発表したことにもよるのだろう、そうしたワードが彼を語るときに必ず用いられるようになった。写真集『IN MY ROOM』(2005年刊)を評価され、木村伊兵衛写真賞を受賞。これまで多くの展覧会に出展してきた。

そんな鷹野の国内の美術館での初の大規模個展「鷹野隆大|毎日写真1999-2021」が国立国際美術館(大阪市)で開かれている。「毎日写真」は、無目的ではあるが実験的に日々撮りためたシリーズの名称で、今回展示された129点のうちこのシリーズが65点を占め、主軸となっていることに由来する展覧会のネーミングだ。

会場風景より 撮影:表恒匡

本展は6つの部屋から構成されている。

1室めでは1999年から2011年の東日本大震災までの作品を見ることができるが、まず目に飛び込んでくるのは大判プリントの《赤い革のコートを着ている〈2002.05.04L.#03〉》(2002)だ。化粧をした短髪の男が顎を上げ、物憂げに正面に眼差しを向ける強いインパクトの作品がオーディエンスを迎える。斜めに角度をつけた展示壁の両面に「IN MY ROOM」「ヨコたわるラフ」シリーズを配置、それを囲む4面の長い壁に等間隔に「毎日写真」シリーズを並べていたが、最後に3枚組になっていた写真があった。そこまでのシリーズ写真では、日々の生活や、街角の風景が写されている。だが、写真家の自室なのか几帳面に整理されたファイルを収めた棚の前に、緑(FUJI FILM)と黄色い(Kodak)印画紙の箱が散乱している様子、台所のシンクに転がる卵…2011年3月11日の写真では突如時が止まったかのような場面が切り取られている。

会場風景より 撮影:表恒匡
会場風景より 撮影:表恒匡

2室では影を撮影の対象としたモノクロ写真「Photo-Graph」シリーズを中心に展示。本展企画者の中西博之(国立国際美術館上席研究員)は「震災後の約三年間の白黒写真は、現実を二次元に圧縮する写真というものの特性、特に平面性・空間性・距離感などについて考察」 を重ねた時期だと図録に記している。光の粒子を平面に落とし込んだ写真による一つのインスレーション作品とも受け取れる14枚の写真は、ここで鷹野に大きな転換期が訪れたように感じられる作品群である。

会場風景より 撮影:表恒匡
会場風景より 撮影:表恒匡

3室には定点観測的に撮影された「東京タワー」シリーズ、「カスババ2」シリーズの展示のほか、整然と立つ20本の白い柱を用いた展示空間を設えて「毎日写真」シリーズを展示している。約20年間日々の写真には、鷹野の個人的な要素の強い場面が選ばれ、プリントはそれぞれサイズも異なる。柱の間を移動しながら作品を見ると、写真集のページをめくるのとはかなり異なる、映画を見ることにも似た感覚を味わうことができた。

会場風景より 撮影:表恒匡
会場風景より 撮影:表恒匡

4室は「日々の影」シリーズを中心に構成。鷹野は2011年の震災後、しばらく写真が撮れなくなった頃、ふと足元に絡まる黒いもの(自身の影)を見た際に、身近にあるが、しかし自分には属さないものとして影に興味を持ち始めたと言う。光のあるところに影は存在し、地面に落ちた影をスナップ写真として、あるいは毎日同じ場所で定点観測的に撮り始めた。写真史をふりかえっても、絵画的な構図の面白さで影を扱うことも多いが、鷹野の影は存在に対する問いかけのようにもとらえることができる。

会場風景より 撮影:表恒匡

5室では「影の採集」というコンセプトで、光を浴びた人の影の写真が展示されている。技法としてはむしろ古くからあるフォトグラムを用いて制作された「Red Room Project」や、光を浴びると緑になる「Green Room Project」や太陽光を光源とした90年ほど前からあるソルト技法による「Sun Light Project」。プリミティブな技法によって写真を再考するような試みを行っている。

会場風景より 撮影:表恒匡
会場風景より 撮影:表恒匡

最後の6室では、前出の「Green Room Project」を体験できるライブインスタレーションのコーナーが設けられている。強い光を背中から浴びた後、壁に残る影が、そこに現れた瞬間から自分には属さないものになったことを実体験できる。筆者は2018年に神楽坂(東京)の建物の地下でも同じ体験をしたのだが、空間の性質なども含め私の中ではやや異なる体験となった。

会場風景より 撮影:表恒匡

以上が、第1室から順路に沿って観覧したレポートだ。キュレーターの中西の思う壺にはまり、私が誘導されてしまったのだろうか。いずれにせよ鷹野の写真のさまざまな面を観ることが出来、再発見というより、むしろ知らなかった部分や曖昧な理解や、誤解があったことに気づかされた。

自由に解釈してゆくと、第1室では、鷹野の写真を近代絵画に置き換えて見てみるというのも面白いと思えてきた。コンクリートとアスファルトに固められた都市の風景は、田園や森の風景と、役割を開放された(あるいは逸脱した)身体は、泰西名画として仰々しく飾られている肖像や横たわる裸婦像と置き換え、「美術館」という制度の中に嵌め込んで見る。鷹野の作品をそんなふうにこれまで見たことがなかったが、「見る」行為が解き放たれ、ますます鷹野隆大というつくり手の厚みを楽しめる。そんなわけで、私はこの展覧会をすでに3度訪れている。

*巡回展はなく、大阪会場のみでの開催

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