公開日:2021年12月31日

ライター4人が語るマーケット、ハラスメント、22年の展望。【座談会】アート界ゆく年くる年(後編)

アートライターの原久子、白坂由里、杉原環樹、島貫泰介を招き、2021年のアート界を総括する座談会を開催した。前編は、今年印象的だった展覧会と、昨今その重要性が指摘されるようになったアクセシビリティや福祉との関係について。後編では、アートフェアやアートマーケットの動向から、アーツ前橋の問題やハラスメントといった構造的な問題をどうとらえているかに至るまで、いま思うことを語ってもらった。(構成:菊地七海)

国内3都市から7ギャラリーが集った展覧会形式のアートフェア「WHAT CAFE × DELTA exhibition ‘EXPANSION’」(東京、WHAT CAFE) © TYM344

*印象的だった展覧会について語る「前半」はこちらから

アートフェアやギャラリー
世代交代はどうなる?

──展覧会に続き、今年の動向や出来事などで関心を持たれたことをお聞かせいただけますでしょうか。

 今年気になった動向ということで言うと、アートフェアの在り方の変化がありますね。最近は、巨大化しつつあったアートフェアとは違う、新しい活路を見出そうとしている傾向にあると思います。いまはオンラインを含め、マーケットにアクセスする方法がいろいろと出てきているので、そこをうまくミックスする、プログラム作りが上手な人たちがいる。マーケット至上主義になりすぎてしまうことには危機感を感じるものの、まったくお金にならないのもアーティストを苦しめますし、オルタナティブなものと、「健全な」マーケットが両方あるのが望ましいですよね。

たとえば2020年から大阪、東京、京都で開催している「DELTA」は、これから世に出ていく若手アーティストたちを応援する、同世代のギャラリーオーナーやディレクターたちが中心となって運営しているアートフェアです。参加しているギャラリーも多くはないし、そんなに大きな市場ではないけれども、若い世代の人たちが、自分たちで自立してやっていこうとするスタンスを、好感を持って見ています。

アートフェア「DELTA Exhibition」(TEZUKAYAMA GALLERY / VIEWING ROOM)

島貫 関西圏だと、京都のFINCH ARTS(フィンチアーツ)ディレクターの櫻岡聡氏が、立体作品を軸にした「OBJECT」という小規模なアートフェアをやっていたりしますね。若い世代のなかで、アートフェア自体を批評的にアップデートさせていく、介入していくような動きがちょこちょこあるように思います。

杉原  いまの話にちょっとつながると思うんですが、今年、SCAI THE BATH HOUSEの白石正美さん、Take Ninagawaの蜷川敦子さんのインタビュー記事を担当することがあって、そのなかでおふたりとも、最近のアートマーケットや新興コレクターの一部に、作品の作り手と受け手の間をつなぐギャラリストなどのマネジメント的な領域への視点や、作品を価値づける歴史的な文脈への意識が薄いということを語っていました。

その記事で白石さんが話されていることですが、今年、公益社団法人経済同友会が「アート産業活性化に向けたエコシステムの構築」という提言を出したのですが、そこではアーティストとコレクターとの接続、つまり作り手と買い手の直接のつながりの拡大には力が入れられているいっぽうで、ギャラリストやキュレーターやジャーナリストのような中間的な存在への意識が欠けている、と。まさにその立場の白石さんがそこで懸念を感じるのはある意味で当然なのですが、実際にギャラリーには、作家と買い手の間に立って、価格設定や作家の継続的なキャリアサポートを行い、作家や作品が無下にされないような健全なエコシステムの調整役を担ってきた部分があると思います。そうしたバランスを取る人がすっぽり抜け、作家とコレクターが直接つながるのは、可能性でもあるけどちょっと怖いことだなとも思います。

たとえば、コレクターに売った作品が散逸しないよう、売りっぱなしにせず、その後の管理をすることもギャラリーの重要な役割だと思いますが、もし作家から直接買ったコレクターが作品を蔑ろにする人で、飽きたから捨てたり適当に他人に売ろうということになれば、その作品は歴史には残らない。誰もそんな人に作品は売りたくないわけですが、若い作家は、「あなたの作品を何十万、何百万で買う」と言われて抗うことは難しいと思います。だから、最近はセカンダリーマーケットみたいなものも活況を呈しているとにわかに耳にしますが、そうした売買の場が盛り上がるのと同時に、アートマネジメントの重要性があらためて認識されていかないと、資本の暴力がむき出しになったようなすごく殺伐とした空間になるんじゃないかなというのは、今年よく感じたことでした。

島貫 ここ数年、東京を中心に大小のオルタナティブなアートスペースのオープンが相次ぎ、積極的に新進アーティストを紹介する挑戦的な展覧会が開催されて話題になることが増えました。そのなかには将来の都市開発を見込んだ時限的なスペースもあって、不動産利用や地価の維持、あるいは釣り上げに直接的・間接的に関わっているケースもあります。これは広義のジェントリフィケーションであって、日本国内でもこれまでに何度か起きた現象ではあるけれど、これまでよりも数歩先の段階に進んだ感じがしています。それは、選択肢のきわめて限られたパラダイムシフトかもしれず、キュレーター、コレクター、ギャラリスト、そして都市空間の世代交代のタイミングとともに一気に進んだ印象です。

 ギャラリーや美術館でも、世代交代問題はこの先深刻になってくると思うんです。80年代、美術館が乱立した時代に雇用されたのは60年前後に生まれた人たちで、彼らがいま、一斉に定年を迎えようとしている。その次の世代の学芸員っていうと大体70年前後生まれで、さらにその下になるとまた10年の差があって。これはギャラリーも同じではないでしょうか。

島貫 地方美術館のリニューアルや新設ラッシュが相次ぎ、その流れでこれまで各美術館で現場のエースだった40〜50代のキュレーターが館長になっていく流れもあったりしますよね。それから定年によってポストに空きができて20〜30代のキュレーターが主要美術館に雇用される例も多い。そういった点でも世代交代が印象に残る2021年でした。こういった動きが、5年後10年後にどのような風景をつくっていくかというのは、慎重に見ていく必要があると思っています。

アーツ前橋の作品紛失問題と、組織運営のあり方

──白坂さんは今年、ウェブ版「美術手帖」で、アーツ前橋の作品紛失問題について詳しくレポートを書かれていましたね。同館が、2名の作家の著作権者から借用していた作品6点を紛失したことが確認されたのが2020年1〜2月で、公表されたのが同年11月です。21年3月には紛失の原因や対応について調査委員会が調査報告書をまとめるなど様々な動きがありましたが、いまだに解決に至っていません。作品が持ち出された可能性が高いとして、21年12月には前橋市が前橋署に被害届を出しました。この問題を通して、美術界のあり方や行政との関わりなどについても、みなさんにお伺いしたいです。

アーツ前橋 出典:ウィキメディアコモンズ

白坂 複雑化して長期にわたる問題になってしまっていますよね。「アーツ前橋あり方検討委員会(以下、あり方)」が全5回あり、12月27日に提言書が市長に手渡されました。作品管理の見直しや再発防止策の提言、コンプライアンスやリスクマネジメントのほか、組織運営や人材育成の見直しも提言されています。アーツ前橋の学芸員は、5年ごと更新の「常勤」と呼ばれる任期付き正規職員と、1年ごと更新の「準常勤」と呼ばれる会計年度任用職員からなり、無期限の正規職員がいません。特に作品収蔵には経験の蓄積が必須なため、正規雇用などの待遇改善が盛り込まれました。なお、作品を紛失した学芸員には7月に取材を申し込みましたが断られています。

「あり方」を4回傍聴していて、そもそもその前の「作品紛失調査委員会」から委員構成が充分ではなかったのではないかと思いました。美術館の館長経験者などで収蔵の実務に詳しい委員が数名と、警察関係、法曹関係の委員がいれば、借用手続きや保管方法、作品リスト(公文書)を改ざんしようと提案したことなど複数の問題が的確に検証されていたのではないかと思います。「あり方」では、他館の美術館館長やリスクマネジメントの委員が入り、客観的に明らかになったことも多いです。ただ、アーツ前橋の事業に関係するトリオの「劇場タイム」が毎回訪れ、俯瞰した美術館運営の深い議論をする時間がなくなっていました。第三者のバランスを熟慮した委員会を作らないと、問題解決やリスタートになかなかつながらないような印象を持ちました。

島貫 地域とのかかわりが強い美術館やアートスペースは、その地方のアイデンティティやシビルプライドと結びついている場合が多く、それが問題の解決を難しくしている側面がありますよね。個人的に、ここにもジェンダーバランスの問題があると思っています。地域の芸術祭や文化事業のトップ・要職に就いている人の大半が男性で、実際的に利権が集中する場所では依然として男性原理が寡占的です。そういう視点や価値観が単一化しやすい状況では歪みが生じやすく、その歪みを取り繕おうとすることがさらなる歪みを招いたりする。この構造を改善していくには、拙速な解決ではなく、長く粘り強い改革が必要だし、多くの市民の共感と関与が必須です。縦方向のヒエラルキーではなく、縦にも横にも柔軟に広がるネットワークをつくっていかなければいけない。

 根底には雇用の問題もありそうな気もしますね。コレクションの収集・保存・研究・展示というミュージアムの基本業務には、レジストラーなど専門性の高い知識・経験を必要とします。近年の指定管理者の採択の選定基準の再検証も必要かもしれません。企画の部分のみでなく、プロフェッショナルの雇用や人材育成に関しても重視することが、継続的な運営のポイントかと思います。

白坂 アーツ前橋の取材は、学芸員の離職率が高いなという違和感を持ったことがきっかけでした。前に述べた、行政の雇用の問題が前提にあります。そのうえで、住友前館長を慕う学芸員もいますが、素通りできない声を複数聞いたことも事実です。アーツ前橋に限られたことではなく、美術業界での働き方についてパラダイムシフトが起こっているんだと思います。最近では「art for all」とか「表現の現場調査団」のように声を拾ってくれる団体も出てきましたが、これからは少しのことでも声が上げられるようになったら良いなと思いますね。

それに対してSNSなどでの二次加害があると、沈黙する人、匿名でしか声を出せない人が増えてしまうばかりではないかと危惧します。いっぽうで「ひととひと」「アートマネージャー・ラボ」のように、展覧会などを通じて語り合える場をつくる人々が出てきたことは心強いと感じます。アートマネージャー・ラボのグループ展「Art for Fieldbuilding in Bakuroyokoyama:馬喰横山を手探る」(参加作家:遠藤薫、工藤春香、本間メイ)は、フランクに私自身も含めて省みたり、学んだりできる機会でした。

島貫 去年今年と、そういう事柄が次々と明るみになることで、広く問題が共有されましたね。それがハラスメントの抑止になればよいし、部分的にはなっているとも思います。ただ、前段で出てきたギャラリーの存在感が弱くなった話もそうですけれど、社会や経済が不安定化していくことと、美術業界の構造的な動揺はほとんどパラレルに進行している。そういうとき、人はカリスマ性のある人物、カネになりそうな人物、声を大きく響かせられるヒーローに依存してしまいがちだけど、そこにすぐ飛びつかない気持ちが必要(笑)。この数年で言い尽くされたフレーズですけど、社会は多声的であるべきだし、多声的であるためには個々人が声をあげることが必要で、そしてそれは可能であるという意識を持っていきたいです。

杉原 やはり広い意味で、芸術文化の世界におけるマネジメントが問われているのだと思うんです。人が大勢集まって、何かがつくられる現場のあり方が問われている。

2010年代は、コレクティヴの時代だったと思います。その背景のひとつにはSNSがあり、それまでは物理的に知り合うしかなかったのが、SNS空間で、言葉が巧い人とか、ある種のカリスマを持った人の周りに「フォロワー」が簡単に集まれるようになった。そうしたカリスマに感化されたり、敏感に反応するのはどうしても若い人が多く、だから2010年代にはカリスマを中心にしたスクール的なものも流行った。もちろん、人が集まることには可能性もありますし、カリスマがまったくいない、ただただ全員水平的な芸術文化の世界も想像しにくいのですが、そうした求心的な構造のなかでハラスメントの告発なども起きました。そして、それを裏返すような一種のコレクティヴとして、昨年末に「表現の現場調査団」が設立され、今年3月、「表現の現場ハラスメント白書」が発表された。これは、非常に変化を感じました。

島貫 「表現の現場調査団」はジャンル横断的な集まりでもありますよね。そこがいいと思います。

12月9日に行われた、表現の現場調査団の記者会見の様子。左から、宮川知宙、深田晃司、端田新菜、小田原のどか、荻上チキ 写真提供:表現の現場調査団 

杉原 そうですね。最初はやはり美術の人が多かったんですが、そこに賛同する人たちが横につながってきた。つい先日、12月に行われた進行形の調査の中間報告では、演劇や映画の方も参加されていて、公表されたデータのなかには演劇賞や映画賞、文学賞や評論賞の数字も記されていた。あらゆる分野にインパクトを与える内容だと感じました。

また、美術の世界の内部でも、組織のつくり方とか、広い意味での「集まり方」に意識的になり、いろんな実験をする若い人も増えていると感じます。ミーティングの仕方とか展覧会の作り方まで含めて、組織構造のあり方を工夫し始めていて、どのように旧来的なあり方とは違う仕方で芸術の創造ができるのかを真剣に考えている世代が現れている。去年から今年にかけて感じていることのひとつです。

2022年に期待すること

──では最後に、来年以降期待していることをお聞かせください。

 まずは国際芸術祭「あいち2022」ですね。前身の「あいちトリエンナーレ2019」で「表現の不自由展」の事件があって、ボードメンバーも変え、新たに出直すという心構えが名称の変更にも表れていると思うので、第1回目から間近で見てきた身として、期待したいと思います。

国際芸術祭「あいち2022」に参加予定の、ホダー・アフシャール《リメイン》(2018) © the artist and Milani Gallery

それから、アーティスト・イン・レジデンス(以下AIR)を含む海外との往来の緩やかな復活。LCCの興隆でいろいろなところに頻繁に行き来できるようになったのが、一転してこのような状況に陥り、2年くらい先の展覧会にまで影響しています。ヴィラ九条山(京都)ではレジデントアーティストが滞在していますが、ほとんどのAIRがオンラインの交流プログラムに切り替えています。PARADISE AIR(松戸)、TRA-TRAVEL(大阪)などの小回りの効くかたちで動いている民間のAIRプログラムは、海外からのアーティストの来日などの予定も少しずつ再開させるようです。仕組みが多様化していくなか、草の根的な活動にも期待したいです。

あとはフェミニズム関連の展覧会にも注目しています。昨年の「彼女たちは歌う」(東京藝術大学 大学美術館陳列館)に続くようなかたちで、今年も「フェミニズムズ / FEMINISMS」展、「ぎこちない会話への対応策—第三波フェミニズムの視点で」展(ともに10月16日〜2022年3月13日、金沢21世紀美術館)、「アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人」(4月22日〜2022年1月16日、森美術館)などが開催されていますが、今後そこへの興味を持つ人たちがまた新たな視点でさらにバージョンアップした展覧会を作ってくれると良いなと。

「フェミニズムズ / FEMINISMS」展(金沢21世紀美術館)より、手前がユゥキユキ《「あなたのために、」》(2020)、左奥が西山美なコ《もしもしピンク 〜でんわのむこう側》(1995/2021)、右奥が西山美なコ《♡ときめきエリカのテレポンクラブ♡》(1992/2021)

杉原 質問の答えとはズレているかもしれませんが、個人的には、この数年間の様々な騒動や問題もあり、最近は美術の世界で働いていることに希望をあまり持てなくなってきているところがあります。自分がもっと若かったら、ここで働きたいと思うかな、と。そんななか、今年の春からartscapeで、メディア的にはあまり取り上げられないけれど、地道に活動をされている全国の学芸員さんたちにリレー形式で対談をしてもらう「もしもし、キュレーター?」という連載の聞き手をやらせてもらっていて、そこで登場いただいた方たちのお話には励まされるものがありました。

たとえば、茅ヶ崎市美術館の藤川悠さんは、千葉市美術館の畑井恵さんとの対談のなかで、以前東京の美術館で働いていたときは、最先端のトピックや注目のアーティストを追うことに必死だったけど、茅ヶ崎に移ってからそうした情報への関心があまりなくなり、ネットワークから解放されたとお話しされていました。そして、誰かがお墨付きを与えた「アート」ではなくて、アートかアートじゃないかわからないところからアートを考えられるようになったのが、地方の美術館に来て良かったことだと話されていて、とても良いなと思いました。同様のことは、黒部市美術館の尺戸智佳子さんも話されていましたね。

ほかにも『美術手帖』の仕事で、広島で活動する久保寛子さんと水野俊紀さんのご夫妻に話を聞く機会があったのですが、おふたりが、「美術の大きな流れに翻弄され、自分や家族や仲間が不幸になったら何の意味もない。自分の身の回りの生活圏で美術というものを考えていきたい」といったことをお話しされていたのも印象的でした。そうした地に足の付いた活動をされている方のお話に、年々、関心が向かっている自分がいます。なので、楽しみな展覧会とか、注目している「トピック」みたいなものももちろんあるのですが、個人的にはそういう生活や自分の周りを大事にしている方たちのお話を聞く機会を増やしたい。また、美術の世界全体としてもそうしたものの価値がより認識されると良いなというのが、今後への期待です。

島貫 原さんが挙げていた「あいち2022」には、僕もいろいろな意味で注目をしています。「あいちトリエンナーレ」は市民との協働をものすごく大事に育ててきた芸術祭です。「あいち2022」のプレ企画を見ると、その要素はもちろん引き継がれつつも、産業界とのつながりを意識させる企画が目立ちます。新しくデザインされたハート型のロゴのふわっとした感じなんかも含めて、やはり前回に対する「禊ぎ」感がある。そういった状況を探っている感じがどういうふうにキュレーションや作品に影響を及ぼすかは半分心配。でも、それをふまえてすごく素敵な回答を見ることができたら嬉しいなとも思っています。

それから、僕は5年前から京都、そして今年からは別府にも拠点を持って暮らしているので、地方でのアートシーンの動向も気になっています。関西ではびっくりするぐらいアートフェアや官民一体型の芸術祭的な催しが増えましたが、一市民としては「そんなにいらないよ!」というのが本音です。また、そこで訴えられている経済性やSDGs的なメッセージもいまさら東京の後追いという感じで、オリンピックやIR関連で失敗した事実を見ないようにしてるのかな、という印象です。日本では、中央としての東京、周縁としての地方、という構図を変えることは相当に難しいけれど、都市部とは違うあり方、オルタナティブな選択を地方で見てみたい。

2023年以降への助走で言うと、演劇分野では相馬千秋氏と岩城京子氏が「テアター・デア・ヴェルト(世界演劇祭)2023」のディレクターに就任したことに注目しています。同演劇祭は欧州圏では非常に存在感のある催しで、アジア出身のチームがディレクションを担うのは、40年の歴史で初。お二人とそのチームがどのような新しい批評性を提示するか、すごく期待しています。

美術分野では、リニューアル工事中の横浜美術館の再開も23年ですね。20年4月に館長になった蔵屋美香氏の示すヴィジョンが具体化することを楽しみにしています。同氏は東京国立近代美術館に勤務されていた頃から運営面でも自覚的な活動をなさっていて、横浜美術館の館長になった後もYouTubeでメッセージを伝えたり、SNSで直筆のイラストを発信したりと、チャーミングな動きを見せています。美術館はもちろん館長一人のアイデンティティによるものではありませんから、新館長と横浜美術館のスタッフの個性がどのような協働を生むか、とても楽しみにしています。

白坂 コレクションが市民および人類の共有財産だということをもう少しリアルに感じられるような機会があるといいと思います。すでにあるとは思いますが、たとえば「記憶」と紐付けて、鑑賞者とともに語り直していくプログラムとか。昨今はプロジェクトがすごく増えてきていて、プロジェクトの成果物や記録のアーカイブなども、少しずつですが美術館にコレクションされるようになってきていますし。

というのも、今年のはじめ頃「語られなければ忘れられていく」ということについて考えていたんですね。松本美枝子さんの個展「小さなミエコたちのはなし」(1月22日〜2月21日、日立市視聴覚センター映像セミナー室)で、日立市で戦争の記憶をリサーチした、海の映像と語りの映像作品が上映されていて。戦災に遭っている方でも「自分たちはそんなに大変ではなかったから、もっと被害に遭っている方たちに対して言葉がない、あまり語れる立場にない」と口をつぐんでしまうことがあるんだと実感しました。

水戸芸術館 現代美術ギャラリー「3.11とアーティスト:10年目の想像」展(2月20日〜5月9日)で出品された小森はるかさんと瀬尾夏美さんの作品や、原爆の図 丸木美術館で開催された「山内若菜展 はじまりのはじまり」でも、被災あるいは再生の経験をいかに残していくかということと向き合われていたと思います。

東京の美術館では「3.11」関連の展示が意外となかった印象があります。特別な出来事でなくてもいいのですが、小さな声の掘り返しや、それを見る側の鑑賞の記憶を紡いでいくということも、コレクションにできる役割なんだろうと思います。

また「アートセンター」がどうなるかについても、今後注目していきたいところです。たとえばこれは変わり種ですが、東京藝術大学の小沢剛研究室と取手アートプロジェクトが、共同で「ヤギの目プロジェクト」というものを始めたんです。ヤギの飼育場をつくるところから始まり、屋根も壁もない「透明なアーツセンター」を目指していくという。ヤギの糞から画材をつくって絵を描くのは匂いが大変そうでしたが(笑)、実験的なおもしろいことをやっています。

あとは今年、原爆の図 丸木美術館が保存基金を館のホームページなどで募集したところ、9月時点で6706件の寄付件数があり、計1憶7967万円が集まりました。立地的にやや行きづらい場所にあるので、「なかなか足を運べなくても、保存し続けてほしいという人たちが実はこんなに大勢いるということが見えて勇気づけられた」と学芸員の岡村幸宣さんがおっしゃっていました。これも見守っていきたいことのひとつです。

──2022年にも引き続き考えていきたい、重要な視点をたくさん共有していただいたと思います。みなさん、今日はどうもありがとうございました。

原久子
はら・ひさこ アートプロデューサー、ライター、大阪電気通信大学教授。京都生まれ、大阪在住。主な共同企画に「六本木クロッシング2004」(森美術館、2004)、「Between Site and Space」(トーキョーワンダーサイト渋谷、2008+ARTSPACE Sydney、2009) 、「あいちトリエンナーレ2010」(愛知県美術館ほか、2010)ほか。共編著に『変貌する美術館』(昭和堂)など。

白坂由里
しらさか・ゆり アートライター。神奈川県生まれ、千葉県在住。『ぴあ』編集部を経て、1997年に独立。美術を体験する鑑賞者の変化に関心があり、美術館の教育普及、芸術祭や地域のアートプロジェクトなどを取材・執筆。『美術手帖』『SPUR』、ウェブマガジン『コロカル』『こここ 』などに寄稿。

杉原環樹
すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ、在住。美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行う。『美術手帖』「artscape」などに寄稿。関わった書籍に、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。

島貫泰介
しまぬき・たいすけ 美術ライター、編集者。1980年神奈川県生まれ、京都、別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』を開始。

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集。音楽誌や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より現職。