公開日:2022年12月30日

【2022年】ライター4人が語る、教育普及や炎上とフェミニズム、23年の展望 【座談会】アート界ゆく年くる年(後編)

アートライターの浦島茂世、島貫泰介、杉原環樹、新原なりかを招き、2022年のアート界を振り返る座談会を開催。後編では、昨今重要性が増している美術館の教育普及のこれから、「おかんアート」展をめぐる議論、「パルコ感覚」問題など今年アート界を賑わせた話題と、2023年の展望について語った。(構成:菊地七海)

*前編はこちら

美術館と人々をどうつなぐか:教育普及と文化政策

 ──杉原さんは座談会の事前にお願いしたアンケートで、「展覧会っていう枠にいまいち乗り切れなくなってきた」と書かれていましたね。

 杉原 そうですね。もちろん展覧会も好きですが、artscapeで教育普及や地域活動を行う学芸員さんに話を聞く連載(「もしもし、キュレーター?」)に関わっていることもあり、近年は展覧会そのものよりも、従来そのサブ的な扱いになりがちだったワークショップや鑑賞会のような関連プログラムのほうに、より興味が向かうようになりました。

以前ある方から聞いてなるほどと思ったのは、学芸員の主要な仕事だと思われている展覧会企画というのはある程度フォーマットが決まっていて、扱う作家やテーマが変わっても、形式自体がドラスティックに変わることはほとんどないですよね。いっぽう、同じ学芸員の仕事でも、教育普及は参加者に応じて手を替え品を替えしないといけないのだ、と。小学生に作品をどう説明するか、ビジネスパーソンや高齢者なら、目の見えない鑑賞者ならどうか。あるいは、「この地域の人たち」に美術館をどう好きになってもらうか。つまり、どうしてもざっくり不特定多数の人に向けて作品をみせるしかない展覧会の既存の型に対して、それではこぼれてしまう「具体的な鑑賞者」のための機会をさまざまに用意しているのが教育普及の仕事なのかなと思います。前編でふれた「みる誕生 鴻池朋子展」の、作品を手で触って楽しむプログラム「みる誕生会」も、もともとはアーティゾン美術館の教育普及の方と鴻池さんのコミュニケーションから生まれたそうです。

こうした仕事のポテンシャルが顕著に現れたのがコロナ禍で、展覧会は物理的に作品が運べなくなれば成立しないけど、つねに美術館と社会の接点を試行錯誤している教育普及部門が強い美術館は、オンラインを駆使したり空っぽの展示室をみせたり、コロナ禍にもタフな企画を打てたと聞きました。学芸員のなかでも花形の展覧会企画に対して、教育普及はどうしても地味な印象で、慣習的に新人が担当することも多いそうですが、観客の多様性が意識される現在、その重要性は増していると感じます。

浦島 それで思い出したのが、このあいだ横須賀美術館が、市内の学校給食で横須賀出身の画家・谷内六郎が得意だったメニューを出して、それを食べたあとに美術館の人が教室まで行って、谷内さんについて解説するというプログラムを実施していました。最初に視覚じゃなくて味覚から入るんですよ。そういう、美術の外から入る教育普及が、美術館の外にいながらできてしまうというのがすごくおもしろいですよね。

ほかにも2019年の開催になりますが、茅ヶ崎市美術館が、「美術館まで(から)つづく道」という展覧会で、目のみえない人と一緒に美術館まで行く道を考え、どうやったら案内できるかを考えるフィールドワークを実施したり、展覧会や作品ありきではない方向でのアプローチはこれからももっと盛り上げていく必要があると思います。いま、美術館に足を運ぶ人がどんどん少なくなっていっているので、子供たちや若者の美術ファンをどうにかして増やしていかないと。

杉原 さきほどふれた連載で、まさにその「美術館まで(から)つづく道」を企画した茅ヶ崎市美の藤川悠さんにお話を聞きましたが、美術館体験をその行き帰りの道まで広げて考えているのが印象的でしたね。これは美術館の「アクセシビリティ」の話題ですが、昨年の座談会で、東京オリンピック・パラリンピックに向けて近年進展してきたアクセシビリティ向上の取り組みが、オリパラ後も続いてほしいという話をしました。その点、取り組みは継続しているようです。

それが、東京都歴史文化財団が2021年に始めた「クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー」です。これは、「高齢者、障害者、外国人、乳幼児等の『アクセシビリティ向上』と『鑑賞・創作・発表機会の拡大』に取り組むプロジェクト」。名称はいかにも行政的ですが(笑)、内容は興味深くて、同財団が運営する東京都美術館、東京都現代美術館、東京都写真美術館、東京芸術劇場などの文化施設やアーツカウンシル東京の事業でプログラムを行い、いろんな背景の人が文化に触れる環境づくりがされている。パンフレットによると、そのプログラムの数は年間約140回に上るそうです。

ショーケース(パフォーマンス)イメージ

たとえば、障害のある方や赤ちゃん連れの方が休館中に特別展を見られる鑑賞会や、アートプロジェクトの関係者のための手話講座、日本語を母語としない人のための「やさしい日本語」によるプログラム、高齢者が作品と出会う参加型プログラム、また、特別支援学校や福祉施設でのワークショップもあります。こうした関連プログラムって、展覧会のチラシやホームページの下の方に小さく書かれていて、恥ずかしながら正直僕もこれまではあまり意識できていなかったのですが、じつは社会の本当にリアルなところと美術館を結びつけている重要な機会なのだと思うようになりました。

東京都現代美術館 触察フロアマップ(「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」展) 出典:https://creativewell.rekibun.or.jp/

浦島 先日、東京都の方に、都が令和元年に「『未来の東京』戦略」を策定したという話を伺いました。2030年までの東京都の政策の指針となるものですが、20ある戦略のなかに「文化・エンターテインメント都市戦略」という項目があるのですが、そのなかで東京都全体で「ウェルビーイング」に力を入れて動こうとしていることがわかります。今後、都の美術館でさまざまな方々を対象にしたイベントが増えていくはず。この動きが全国各地に広まっていけばいいのですが。

島貫 僕は、公立美術館や既存の美術制度の価値観のなかでワークショップのような教育普及活動を行う限界を感じるときがあります。数年前に京都の公共劇場が主催していた勉強会に参加した経験があって、そこで教育普及やアウトリーチ研究している人たちがよく言っていたのが、本来は美術館や劇場になかなか行かないような人、あるいは経済的に困窮しているような人たちにこそ芸術や文化を届けたいんだけれども、そこにはリーチできないジレンマがあると。

これは東京や京都といった都市圏にとくに顕著かもしれませんが、文化機関が主催するワークショップの募集を始めると、たいていは経済的に余裕があり、文化活動にも意欲的な地区の学校などからの応募者で定員が埋まってしまうそうです。つまり普及しようと思っても、常に受け手は一定のクラスターに留まっていて、階層や社会集団を越えた流動性が生まれない。これはアートを絡めた民間の教育サービス事業が、概ね富裕層に向けた「商品」としてデザインされていることにも通じていると思います。

杉原 それと関係するか分からないのですが、美術館の教育普及担当者は、展覧会企画の学芸員とはそもそも出自が違い、教育学部出身の方も多いそうです。つまり、小中学校の図工や美術の先生たちが異動先として美術館にいるケースもよくある。ただ、そうした方はいわゆる「現代アート」に苦手意識を持つ方も多く、展覧会企画の学芸員との間に溝が生まれる場合もある。でも本来、学校の先生は地域の事情をより知っているはずで、そうした経験が美術館と地域をつなぐ架け橋として活かされることが重要なのかもしれません。

島貫 母が長く小学校教師をしていたのでいろんなタイプの先生を見てきたし、教育現場の激変も見てきたうえで言うと、構造的な厳しさがあります。もし期待するとすれば組織や制度ではなく、信念を持った個人による地道な取り組みと、少しの逸脱。2020年にNHKで放送された『ノーナレ 校長は反逆児』や、『ドキュメント72時間』で今年放送された「“どろんこパーク” 雨を走る子どもたち」の回が素晴らしくて、つらい気持ちになると見返しているのですが、両方とも制度のなかで可能なことを見定めつつ、そこから逸脱する可能性を探って実践している大人たちと、かれらが守っている環境で生き生きと遊んだり学んだりぼーっとする時間を過ごしたりしてる子供たちのドキュメンタリーです。

展覧会のレベルでも、作品のレベルでも、エデュケーションのレベルでも、「アート」が扱おうとする主題は基本的に構えが大きすぎて具体性に欠けると感じています。手前味噌な話で恐縮ですが、約6年前に東京から京都に移って、昨年は別府にも拠点を持つようになって、西へ西へと地味に移動し続けているのですが、別府ぐらいの規模感、住んでいる人の顔が見えて、かれらがどういうことを大事にして暮らしているのかがなんとなく察せられる規模感のコミュニティが自分にとってはちょうどいいし、芸術について考えたり、自分でも何か実践しようという気持ちになれる。

それもあって、別府市内でパフォーマンスイベント「湯の上FOREVER!」(10月8日、9日)と三枝愛「庭のほつれ | なばに祈る」(11月5日〜20日)という展覧会を企画して、性質の違う手応えを両方から得ることができました。ささやかな規模ですが、とくに前者は来年以降も続けていきたいと思っています。

「湯の上FOREVER!」での若林美保パフォーマンス 撮影:藤原統子 会場協力:DABURA.m
三枝愛「庭のほつれ | なばに祈る」で開催した「しいたけサミット」の様子 撮影:橋爪亜衣子 会場協力:ドマコモンズ

可能性があるならば美術館やアーツカウンシルやNPOのような組織とも連携していきたいですが、むしろ町の居酒屋とか商店とか映画館とかと直接つながって、それこそ牛島智子さんが言う「行事」(参考:前編)のような、定期的に行われる、あって当たり前のものとして認識されるようになったら嬉しい。

大きくなりすぎず、かといって小さく閉じこもらず、具体性と継続性を持ちながら、隙あらば逸脱のチャンスをうかがう。それは自分にとっての課題ですが、美術における教育普及にも同じことが言えるのではないかと考えています。

「おかんアート」炎上に、「ハンクラ板」出身者から意見

──さて話題を変えて、浦島さんは「おかんアート」という名称の創世期からこのムーブメントを見てきたそうですね。今年は「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」展(以下、「おかんアート展」)をめぐり、ネット上などで様々な意見が交わされました。「かわいい」と好意的にとらえる声も多いいっぽうで、女性たちが楽しみとして作ってきた手芸作品の一部を「おかんアート」と呼び、著名な文化人のキュレーションによってギャラリーで展示されるという構図がハレーションを起こしました(参考:山崎明子さんによるレビュー)。浦島さんは、この議論をどう見ていましたか?

「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」展(東京都渋谷公園通りギャラリー、1月22日~4月10日)会場風景 撮影:編集部

浦島 そもそも「おかんアート」って、自分たちのお母さんたちがどうしようもないものをつくって困るから見せ合いっこしようぜっていう、「2ちゃんねる」の内輪ノリが発端なんですよね。私の趣味がハンドクラフト(以下、ハンクラ)ということもあり、「2ちゃんねる」のハンクラ板に出入りしていたのですが、2003〜5年頃に盛り上がっていた。画像掲示板に、ウイスキーのボトルで作った人形や、新聞のチラシで作ったかごだったりをアップロードして見せ合うなど、独自のコミュニティを構成していたんですよ。

でも当時そこにいた人たちって、ほとんどが自分たちで作る人なわけで、自分の作ったものも他人から見たら「おかんアート」なんだよなって気持ちを持っていたように思います。自虐であり自戒があった。現に「おかんアート展」ではスワロフスキーで作ったプードル的な人形も展示されていた。あれは2000年代にハンクラ板にいて、おかんアートでゲラゲラ笑っていた人たち世代のものですし。やっぱり自分たちの作ってたものは時代を経ると、「おかんアート」そのものでしかなかったんだなって思ったりしました。そういう立場で見ると、私がたんに鈍いだけなのかもしれませんが、批判に全然ピンとこなくて。

「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」会場風景 撮影:編集部

 ──「ハンクラ板」のことをよく知らなかったので、そのなかにいた浦島さんのお話にびっくりしています。欠けていた視点でした。展覧会会場で「おかん」として紹介されていた方々は高齢の女性たちだったので、「おかんアート」の作り手もそうした方々を念頭に置いていましたが、実際にはもっと下の世代で「私たちの作った物も『おかんアート』になっちゃうかな」とメタ的にとらえていた人たちの作品も、「おかんアート」の名の下に集められているということなんでしょうか。

今回の「おかんアート展」企画者のひとりである都築響一さんが「おかんアート」を見つけている場所は「商店街の店先、公民館や道の駅」(展覧会サイトより)ということで、正確には浦島さんが見ていた「おかんアート」の現場とは違いますよね?

浦島 そうですね。都築さんは実際の作品が売られている「晴れ」の場で見て、私はだれかの家のだれかのおかんの作った作品を見てて、だからちょっと違う。でも都築さんも当然、「2ちゃんねる」を見ていて、その当時のハンクラ板の盛り上がりにリスペクトがあった。だから、あえて名称を変えずにそのまま「おかんアート」と使った。ただ、「おかんアート」って言葉は、ハンドクラフトを趣味とする人たちの内輪ノリでしかなかったんですよね。2000年代の内輪ノリを2020年代に持っていったときに必要なすり合わせが足りなかったってことなんだと感じています。そういった前段部分が、もう少し多くの人たちと共有できていたらよかったかもしれないと思います。

あと、おかんアートの特徴を「全国どこでも一緒」とすることに対する批判については本当にピンとこないですね。というのも、私自身は、自分はものを作りたい人というよりかは、もくもくと作業をしたい人なんです。自分は自分のクリエイティビティとか信じていないし、むしろ邪魔だと感じるのです。作業だけしたい人だから、完成形を考える工程が面倒、だから手芸用品店に売られているキットをを使うわけです。でも半端な向上心があるので、テクニックは上達させたい。そういう人間にはキットの写真が「正解」なんです。とにかく、キットの見本の写真に限りなく近づけていくことが至上命題になる。写真で見たものと寸分違わず違うものをこしらえたいって欲望だけで作業してる。そういう人間にとって「没個性」や「どこにでもある」って言われるのは「褒められ」なんですよね。だから、おかんアート展に並んでる全部いっしょな作品たちって、個性が全然感じられなくて、それがすごいと思ったんです。なにをやってもクセが強いものしか作れない自分には全部同じに見える人形は憧れ。

「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」会場風景 撮影:編集部

島貫 当時の「2ちゃんねる」のハンクラ板って、どちらかというと技術的な情報交換のための場所でもあったわけですよね。つまりその板の住人たちは、作りたい人たちで、制作のプロセスのなかにいる人たちだったと。僕も実際、別府の婦人会サロンに混ぜてもらって手芸をやったことが何度かあるんですけど、編み物や縫い物を延々とするのってすごい楽しいんですよね。しかしそれがたとえば「おかんアート」みたいに外部からコンテンツ的に名指されはじめると、単純作業し続けることの楽しさからは一気に切り離されたものになってしまう。

杉原 それこそ美術館や展示というフォーマットがもっている副産物というか。もともと生活に密着していたものが、異なる次元のフレームに入れられてしまいますよね。

新原 総称をつけておもしろがるものすべてに共通すると思うんですけれど、実際におかんアートを作っている「おかん」本人たちは完全に置き去りで、議論も結局はおもしろがっている側がしているじゃないですか。そこに自覚的じゃないと非常に危ないとは思います。私も手芸が好きで、結構やるんですよ。でも手芸が好きって言うと、「女の子らしい」とか「家庭的」という印象がつきものなので、あまり明かしたくないという葛藤もずっと持ってきていて。

でもここ数年、現代の手芸をとりまく状況に迫った『現代手芸考』(上羽陽子・山崎明子編、フィルムアート社)の出版や、Instagramなどで目にする手芸界隈でも無機質さやカッコよさ、あるいはグロテスクさなんかを際立たせた、従来の「女性的な」手芸からあえて逸脱するような作品を作る人も増えてきています。そうやって手芸とフェミニズムの文脈に関心が高まっている世情に無自覚・無頓着な感じでやってしまったら、確かに炎上は免れないかなとも思います。

あとは「アート」という言葉の問題もありますよね。「アート」とすることで権威的な色付けがなされるという受け取りかたもあれば、逆にきれいなものであればすべて「アート」ととらえる風潮もある。おかんアートで言う「アート」も結局は受け取り方が人によって違って、そこが話をこじれさせている一因のような気もします。

 ──「アート」という言葉は社会のあらゆる場所でゆるふわに使われる包容力のある言葉だと思いますが、新原さんがおっしゃるように、使われる場所や文脈を意識しないとコンフリクトが生じてしまうのかもしれません。

実際「現代アート」のなかでも手芸の技術を使って制作をしているアーティストは以前からいて、近年のフェミニズムや女性アーティスト再評価の流れとともに、そうした存在に改めて光が当たっています。たとえばアメリカで黒人女性アーティストの代表的存在として知られるフェイス・リンゴールドはキルトを使っていて、それは「キャンバスに油彩」という白人男性たちが築いた西洋美術のスタンダードからの解放でもあった(参考:回顧展レポート)。

フェイス・リンゴールド 「Woman on a Bridge」#1 of 5:Tar Beach 1988 キャンバス、プリントされた布、インク、糸にアクリル絵具 189.5×174cm Solomon R. Guggenheim Museum, New York; Gift Mr. and Mrs. Gus and Judith Leiber, 88.3620. © Faith Ringgold / ARS, NY and DACS, London, Courtesy of ACA Galleries, New York 2022

「あいち2022」では、宮田明日鹿さんが地域の方々と「有松手芸部」を立ち上げていたのも記憶に新しいです(参考:レポート)。また、クリエイティブコーダーの高尾俊介さんが、お母さんのキルトに無意識的に影響を受けていたというお話もインタビューで聞いて、とても興味深かった。

左から高尾久代のパッチワークキルト作品、右が高尾俊介のクリエイティブコーディング作品

そしてみなさん、実際にご自分で手芸をやっているんですね。

浦島 やっているって言っても、作業がしたいだけなんです。完成形はいらないのでできた瞬間に全部壊してます、シヴァ神のような感じで。

一同 (笑)!

 「パルコ感覚」問題、「岡山芸術ごっこ」

新原 今年の話題としては、個人的には福岡の「パルコ感覚」問題のインパクトが大きかったです。福岡に友人が多く住んでいて、近い人が巻き込まれているので身近な問題だったこともあり。どういう騒動だったかというと、6月に福岡パルコで、「パルコ感覚」というアート展を含むイベントがあったのですが、その入り口に設置され、出品作家の紹介を掲載した案内板が、風俗の無料案内所を模したパネルだったんです。作家側はそのことを事前に知らされていなくて、それに抗議して作品を取り下げた作家もいたし、パルコ側にも苦情が殺到して、結局その案内板は撤去されました。

「パルコ感覚」案内所の様子
「パルコ感覚」の参加アーティストであるnoe risaが「案内所」の設置を知り、自分の作品を取り下げた後の展示写真

自分が同じ九州の鹿児島出身で、地方出身のコンプレックスがあるからかもしれないんですけれど、いまの時代に東京でも同じことが起こるかな?と思ってしまったりもして。昨今はフェミニズムやジェンダーの議論がだいぶ進んできた気がしていたのに、じつはまだこんな意識の人がいるんだとより戻されるというか、現実を見させられたみたいな気持ちがありました。

でも、なにより地元の人たちのショックが大きくて、「パルコ感覚」に出品していた作家の友人で自身もアーティストとして活動している方が中心になって、出品作家やその他の福岡を拠点とするアーティストやデザイナーいろいろな方々が集まって座談会を開催し、ZINEをつくったんですよ。炎上慣れしてしまっている昨今において、それを自分ごととして受け止め、そこまでやる人たちがいるというのはすごく救いだなと思います。

──アーティストによる行動という点では、「岡山芸術交流2022」の開幕中には、同展のあり方に疑問を呈するアーティストを中心に「岡山芸術ごっこ」というパフォーマンスイベントが開催され、ZINEも制作されました。発起人の菊村詩織さんは神奈川県在住ですが、2019年に岡山で滞在制作していた縁で、この問題に向き合われているそうです。

「岡山芸術ごっこ「同じ空のもと夢を見ている人たちの中で一人だけ別の事をする人」のパフォーマンスの写真 提供:菊村詩織
「岡山芸術ごっこ」 ZINEを作っている写真 提供:菊村詩織

島貫 「パルコ感覚」に対しては、出品している作家さんたちの反応がすごく速かったですよね。こういうセンシティブな案件では、みんな第三者の出方をうかがいつつ反応することが多く、実際に行動に移したときには社会の関心が薄れていることが多い。ですから、出品者である当事者たちが主体的に行動したのは本当に尊敬すべきことで、「福岡のクリエイターすごいな!」と感嘆しました。フェミニズムやジェンダーの話題は、東京やその延長としてのSNSでは活発だけれど、地方では共感を得られないという話がありますよね。実際そういう側面は大いにあると思うので、福岡での動きに勇気をもらいました。

「岡山芸術交流2022」に関しては、Tokyo Art Beatでも、この座談会の司会でもある福島夏子さんが読み応えのあるレポートを公開していました。「署名簿数400を超える市民の側から、公的な手段によって働きかけがなされてきたにもかかわらず、総合ディレクターは『把握していない』という。そうであれば、いったいどうすれば市民たちの存在や声は『把握』されるのだろうか。いったいどうすれば双方向的なコミュニケーションが始まるのだろうか」という一文にとくに心打たれました。総合ディレクターの官僚みたいな答弁は、そう言わざるをえない立場だとしても、芸術の側にいる者としては悲しい気持ちになります。

しかも閉幕直前に行われたイベントに、旧内山下小学校の会場に来場者や地域に住む人たち約200人を集めて「OK」という人文字を作るというのがありましたが、全然OKじゃないですよ。これまで暴力やハラスメントや不公正の問題があるたびに、一般に表面化されることとは別に、内部での様々なコミュニケーションがあり、たとえば業界の先輩から飲みに誘われて「表向きは動けないけれど、心では応援しているよ」ぐらいの配慮はあったじゃないですか……それもまあ、グルーミングの一種でたいがいですけど。しかし岡山ではもうそういうのすらなく、最後に高らかに「OK」と言えてしまうんだな、と。今年は安倍晋三元首相が銃撃されて亡くなった年でもありますが、彼の東京五輪招致プレゼンテーションでの「福島第一原発はアンダーコントロール」発言を思い起こさせられる出来事でした。

フェミニズム・ムーブメントの次の展開

──座談会の事前アンケートで、新原さんは「ポピュラライズされたフェミニズムの次の展開が気になる」と書かれています。これはどういうことでしょう?

新原 それこそ炎上が頻発しているというのも、問題に対する意識を持った人が増えたという望ましい変化の一面だとは思います。しかし、そのいっぽうで、フェミニズムという概念が一般化するにつれて、とりあえず言っておけばいいみたいな、もうその段階にきていて形骸化している場面もあるような気もして。来年以降、どうなっていくんだろうなというのが気になります。

古い本ですが、今年、森崎和江さんの『第三の性』を初めて読んで、とにかくすごく衝撃を受けました。森崎さんは残念ながら6月に逝去されましたが、それこそウーマンリブとかいう言葉が生まれる前から、北九州の炭鉱労働者の運動と結びつけながら女性運動をされていた方です。この時代からこんな考えや思いを持って活動している人たちがいたんだと思うと、いまの世の中におけるフェミニズムに対する意識は果たして進んでいると言えるのかどうかすら分からなくなるくらいでした。

浦島 進んでいるとは思うな。というのは、私が学生だった1997〜98年頃に美術史の「ジェンダー論争」が巻き起こっていて、当時毎日新聞だった三田晴夫さんら対、若桑みどり先生や千野香織先生らという構図で、月刊誌上でやり合っていたんですよ。そういうのを見ていた人たちが時を経て教員になったり、プレイヤーとして出てきて、あの当時は美術史内の問題だったけれども、いまはだいぶ拡大して美術の外でも見聞きする時代になっているから。

新原 そういう点では確かに進んでいると思うんですが、進んだがゆえに、いま若い世代を含めた幅広い層でバックラッシュが起こっているのも感じます。私がたまたま目にしたひとつの事例ですが、先日ある展覧会に行ったとき、展示物に女性が自分たちの言葉でおっぱいについて語るという内容のZINEがおいてあったんですよ。おっぱいがヘテロ男性視点でばかり語られがちなことへの違和感を示すというような趣旨の。それを、会場にいた高校生くらいの男子2人組がばかにしながら大声で読み上げていて、さらに「なんでもかんでもヘテロ男性、ヘテロ男性ってうるせえんだよ、俺らのせいにすんなよ!」とか言っていたんです。それを見ていたらすごくつらくなってしまって。そういうのも含めて言うと、行きつ戻りつしているなと感じます。

カオスラと地点の訴訟

杉原 バックラッシュということで連想したのは、2020年に告発が起きたカオス*ラウンジのハラスメント騒動に関して、告発した安西彩乃さんが原告となった訴訟の一審判決で、カオスラ側の主張が認められたかたちになったことです(参考:ニュース)。僕はこの判決や訴訟の行方とはべつに、件の騒動に関しては自分の観点から考え続けていきたいと思っていますが、その意味で、判決後すぐに問題があたかも解決したかのような発言がSNS上でみられたのは気になりました。

たしかに原告の訴える内容は法的には認められないものかもしれませんが、ひとりの人間が一連の出来事の中で傷つき、理不尽さを感じ、告発に至ったという事実そのものは残ります。裁判の結果に関わらず、少なくとも僕自身は、アートコレクティヴという協働の組織内でどうしてこのような問題が起きてしまったのかということを、自分なりに考えていきたいと思っています。これは、たとえ安西さん側が勝訴したとしても、やはり考え続けていかないといけない問題です。

島貫 10月末に劇団「地点」の公判があって、おそらく来年1月に結審するのですが、この数年間で相次いだハラスメントの問題が次のステップに進んでいる印象があります。ただ、裁判というのは争点を明確にして行われるものなので、法廷で決着がついたとしてもそれは起きたことのごく一部でしかなく、最終的には演劇界や美術界が総合的に問題と向き合っていかないといけない。カオス*ラウンジにせよ地点にせよ、仮に裁判が終わったとしたら、そのあとこそ業界内で同様の事件や不公正が起こらないようにする制度設計や取り組みをしていかないといけません。

杉原 そうですね。判決によって何もかもが解決するわけでは当然ないので。

島貫 そして、これがいちばん大事なことだと思うのですが、告発、交渉、裁判という流れのなかでいちばん体力と気力を削られているのは間違いなく個人である被害者で、その人たちが無用の摩擦なく、俳優やアーティストとしての活動を再開できるような環境づくりをしていってほしい。自分は職能的にどうしても外側にいる立場なので、少なくともライターや編集者としては「(自分も)環境づくりをしていきます」と明言できないのが歯痒いのですが、本当に必要なことだと思う。

公判中や結審後は裁判資料の請求も可能なので、憶測や流言だけを材料に個人を遠ざけるのではなく、きちんと事実性を吟味したうえで行動できる時期が訪れているということでもあるので。これはとくに美術館、劇場、教育機関、インスティテューションと、それに関わる人たちにお願いしたいことです。

──2020年に安西さんによる告発があったあと、同年11月に結成された表現の現場調査団が、2つ目の白書「ジェンダーバランス白書2022」を今年公開しました(参考:ニュース)。様々な人の勇気や努力によって問題が少しづつ可視化されることが増え、議論の土台になるデータも出てきている。いっぽうでバックラッシュ的な風潮もありますが、こうした問題は来年以降も引き続き考えていく必要がありますね。

12月9日に行われた、表現の現場調査団の記者会見の様子。左から、宮川知宙、深田晃司、端田新菜、小田原のどか、荻上チキ 写真提供:表現の現場調査団 

2023年、楽しみにしていること

──それでは最後に、2023年の気になることや、楽しみにしているトピックをみなさんにお聞きしたいと思います。

島貫 批評家の岩城京子さんが共同ディレクターを辞してしまったのが残念ですが、相馬千秋さんが単独でディレクターを務めることになった「テアターデアヴェルト(世界演劇祭)」が6月からドイツ・フランクフルトで開催されます。3月に詳細が発表されるとのことで楽しみにしています。

それからこれは来年に限らない話ですが、今年2月に初めて見て以来、人生観が変わるぐらいハマってしまったストリップを来年も追いかけていきたいです。この座談会で自分が話してきた広義の「共同体」や「芸術と生活の距離」を考えるうえでストリップはすごく示唆的な動向です。性風俗産業の一部であるのでいろいろと問題もあり、また法的な理由で劇場の数もこれ以上増えないので、いずれ縮減していく可能性のきわめて高い芸能なのですが、それがゆえに踊り子さん、観客、劇場などが互いにストリップが成立するためのラインを探りつつ、ともに楽しくあろうという空気を共有している感じがあります。それを社会の縮図として見ているところが自分にはあって、地方で暮らすこと、考えの異なる他者と一緒にいること、芸術と社会の関わりなど、いろんなことを考えながら観ています。

まあ、そういったややこしい話を抜きにしても、踊り子さんたちの技術や創造性に驚愕するのは間違いないので、ぜひ多くの人に観に行ってほしい「いま」の芸術です。ダンス批評の武藤大祐さんによるTokyo Art Beatのコラムも参考になります。

新原 個人的な話になってしまいますが、2022年は10月から11月にかけて、1ヶ月以上を地元鹿児島で過ごし、その間に鹿児島で美術にまつわる活動をされている方々にインタビューをする機会も持つことができました。大都市でもなく、多くの人が集まる芸術祭があるわけでもないような地方の美術のシーンは、本当に外から見えづらいということをその取材に向けたリサーチで再認識しましたが、それでもそういった場所にも美術はあり、美術に取り組む人々がいる。そこにしっかりと目を向けて伝えることに、来年さらに力を入れられたらと思います。

次も個人的に興味のある話題になってしまいますが、短歌の流行が来年どこまでいくかが気になっています。私は短歌を読んだり作ったりするのが好きで、私の体感だと短歌は5年前くらいから大流行しているような気がしていたのですが、世の中ではまだそんなにみたいで。でも、2021年末には短歌を原作とした映画「春原さんのうた」が公開されたり、今年は雑誌「anan」の特集の中でも短歌が取り上げられたり、テレビ番組「情熱大陸」に歌人の木下龍也さんが登場したりと、着実に短歌のフィールドが広がってきている気がします。今日も何度か話に上がった視覚偏重の潮流の揺り戻しとして、言葉の復権が始まっているような気もしていて、私は言葉というものが大好きでたまらないので、そういった流れも含めて来年の動向が楽しみです。

杉原 展覧会でいえば、個人的に青森で楽しみなものが多いです。ひとつは八戸市美術館の「美しいHUG!」展(2023年4月29日〜8月28日)。同展は、さきほどの都の「クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー」​​にも携わるアーツ・カウンシル東京の森司さんの企画です。森さんは水戸芸術館の元学芸員で、「夏への扉―マイクロポップの時代」展など多くの展示を企画してきた方ですが、近年は都の事業に関わっていた。その人が久しぶりに美術館での企画展を手がける、しかも、「第四世代の美術館」という新しい美術館モデルを提唱する佐藤慎也さんが館長の八戸市美術館を舞台に……、ということで、楽しみにしています。

また、『美術手帖』の鴻池朋子特集でも寄稿してもらった奥脇嵩大​​さんという青森県立美術館のとてもユニークな学芸員さんが、地域との協働を通して美術館の可能性を開拓する「美術館堆肥化計画」というプロジェクトを近年やられていて、その2022年版の成果展が来年あるので、そちらも気になっています。

仕事の面では、展覧会そのものだけでなく、今日話題に出たような、教育普及プログラムや展覧会の関連プログラムの取材をより充実させていけたらいいなと思っています。また、前編の冒頭で触れた興望館の「共に在るところから」展や、それに関わる青木彬さんや碓井ゆいさんの活動のような、美術と福祉のあいだの領域をめぐる言葉や実践にもひきつづき注目したいなと。本当に貧しく病んだこの時代のなかで、たとえギリギリであったとしても、いかになんとか生きていくのか。それを、様々な背景を持ちながらもタフに生きている方たちの活動から学んでいきたいと思っています。

──青森の展覧会、おもしろそうですね! 私は先日リニューアル後の八戸市美術館に初めて行きましたが、従来の美術館とは異なる方法で市民にとっての居場所となることを目指していて、それが建築のコンセプトにも明確に現れており、とてもいいなと思ったんです(参考:レポート)。だから教育普及に興味があるという杉原さんが、ここでの展覧会を楽しみにしているのは納得です。そういえば八戸市美術館は、「美術館活動に主体的に関わる市民を、アートでコミュニティを耕して育む「アートファーマー」と呼び、アーティストや専門家、美術館スタッフなどとともに学び合いながら、さまざまな経験ができる環境をつくり出します」(公式サイト)としています。「アートファーマー」や青森県立美術館の掲げる「堆肥化」は、座談会前編で島貫さんが紹介してくれた、牛島智子さんが畑仕事から連想して一部の作品を「作物作品」と呼んでいるというイメージにもつながりますね。

八戸市美術館の「ジャイアントルーム」を2階から見下ろす。最高天井高17m、面積は800㎡の「ジャイアントルーム」は、活動の規模に応じて高さ9mの淡いカーテン(安東陽子デザイン)と可動壁で区切られる。可動壁は収納棚を内包し、両面をホワイトボードとして使用可能 撮影:服部真吏 出典:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/hachinohe_art_museum

浦島 2021年末から福田美蘭の勢いがすごくて、今年開催された練馬区立美術館の「日本の中のマネ ―出会い、120年のイメージ―」も、マネから主役を奪ってしまったようなインパクトがありました(参考:インタビュー)。来年も名古屋市美術館で福田美蘭展が開催されるそうで、これはさらに期待しています。

福田美蘭 ゼレンスキー大統領 2022 パネルにアクリル絵具 作家蔵

また、丸の内・竹橋エリアが新たなアートスポットになりつつあることが楽しみです。昨年オープンした丸紅ギャラリー、今年移転オープンしてきた静嘉堂文庫美術館(参考:レポート)、そして来年新施設でオープン予定の三の丸尚蔵館と、ここ最近で3つも美術館やギャラリーができています。竹橋の東京国立近代美術館から、新しいアートスポットを見て、東京ステーションギャラリー、三菱一号館美術館まですべて歩いていける。八重洲側にはアーティゾン美術館、三井記念美術館もありますし、東京駅周辺だけで美術館とギャラリー三昧の一日が過ごせるようになりそうです。

あとは芸術祭。目[mé]がディレクションをする「さいたま国際芸術祭2023」が楽しみです。

──いやあ、4時間超えの熱い座談会、みなさんどうもありがとうございました! 2023年もどうぞよろしくお願いします。

浦島茂世
うらしま・もよ 美術ライター。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』『京都のちいさな美術館めぐり プレミアム』『企画展だけじゃもったいない 日本の美術館めぐり』(ともにG.B.)、『猫と藤田嗣治』(猫と藤田嗣治)など。

島貫泰介
しまぬき・たいすけ 美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。京都・別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』をスタートした。19年には捩子ぴじん(ダンサー)、三枝愛(美術家)とコレクティブリサーチグループを結成。21年よりチーム名を「禹歩(u-ho)」に変え、展示、上演、エディトリアルなど、多様なかたちでのリサーチとアウトプットを継続している。

杉原環樹
すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行なう。主な媒体に美術手帖、CINRA.NET、アーツカウンシル東京関連。artscapeで連載「もしもし、キュレーター?」の聞き手を担当中。関わった書籍に、平田オリザ+津田大介『ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?』(青幻社)、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。

新原なりか
にいはら・なりか ライター、編集者。1991年鹿児島県生まれ、京都大学総合人間学部卒。その後、香川(豊島)と東京を経て現在は大阪市在住。美術館スタッフ、ウェブ版「美術手帖」編集アシスタントなどを経てフリーランスに。インタビューを中心とした記事制作、企画・編集、ブックライティング、その他文章にまつわる様々な仕事を行う傍ら、エッセイや短歌の本の自主制作も行う。

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福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集。音楽誌や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より現職。